「なんや、3カ月前と全然変わってへんやないか!」

 ここは4月3日、M7の震災に襲われた台湾ではない。今年元日、M7の地震と津波に襲われた能登半島である。

©宮嶋茂樹

3カ月、時間が止まったままの沿岸部

 焼け落ちた輪島朝市も瓦礫に覆われた珠洲市の沿岸部も3カ月前から時が止まったままのように同じ光景が広がるばかりである。政府はこの3カ月何をやってきたんや。

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 確かに北陸新幹線は福井県敦賀まで延長、開通した。6日には七尾-穴水間の、のと鉄道も全線再開。半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」も一方通行ながら開通した。しかし所々車線規制やう回路を回らなあかんし、土砂崩れの後の崖っぷちギリギリ通らなあかんから、のろのろ運転や。

 これであの殺人的渋滞も朝夕以外は解消した。せやのになんでこないに復旧、復興が遅れとるんや。半島のほとんどでも停電は解消したが、いまだ輪島市や珠洲市の6030戸では断水が続き、8000人の住民がいまも避難所暮らしを続けているのである。仮設住宅建てようにも、そのスペースが足らず、重機と資材も充分といえず、遅々として進まず、3カ月たっても643戸足らずしか完成しとらんやないか。

 今月末に至っても3000戸しか完成予定が見込めず、入居希望しても全然足らん状態が続いているのである。

 当然二次避難先からも、住民は帰ってこられず、避難所暮らしが続き、街は依然ゴーストタウンと化したまま、復興の槌音高くとはとても言えんのである。