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復興への活気や歓声に明るい希望がさっぱり聞こえてこない

 震災発生直後の孤立集落もすべて解消したものの、啓開された海岸線や山間部のルートもいたるところ土砂崩れに阻まれ時間がかかるうえ危険も伴い、お年寄りの帰郷はとてもかなわない。さらに孤立集落のほとんどが、現場までの資材、重機搬入も困難な急斜面の向こうにあり、完全復旧の道のりさえ見えず、能登の春はまだ遠い。

 1995年、阪神淡路大震災後の神戸の街で、また2011年東日本大震災後の三陸の沿岸部でのような復興への活気や歓声に明るい希望がさっぱり聞こえてこん、見えてこないのである。

©宮嶋茂樹

 住民も空き巣を恐れいったん帰宅してみるものの、相も変わらずの我が家の惨状に立ちすくむばかりなのである。

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 自衛隊による給食、給水、入浴等生活支援もいまだ半島全域で続いているのも知られていない。

 黒焦げとなった輪島朝市も金沢に出張臨時店舗で再開できたものの、現地での開催のめどはたっていない。

 珠洲市の底引き網漁も再開されたものの、半島沿岸部の一部では海底が隆起し、さざえや海藻が干上がるにまかせている。さらに肝心の漁船が津波により多くが打ちあがったばかりか、港自体が干上がって使いもんにならんようになってもうとるのである。

 復興へのおおいなる活力となるボランティアの若い衆も被災地での宿不足の理由から遠く離れた金沢から通わなければならず、現地活動時間は2-3時間もとれればええほうである。