あの元日の夕刻から早3カ月、2度目の奥能登取材では、いまだ瓦礫がうず高く積みあがったまま、ゴーストタウンと化した能登半島被災地に愕然としたばかり。今も6000戸以上に断水が続き、3000人弱の住民が不便な避難所生活を続けざるをえないのである。
「3月末には能登半島の断水は解消する予定」という日本政府の見通しは結果空手形に終わり、自衛隊による給水、給食、入浴等の生活支援も続いている。だが奥能登にもようやく春が訪れようとしていた。
3カ月ぶりの歓声が能登にひろがった
能登半島を縦断していた「のと鉄道」も4月6日には穴水駅まで全線再開。“能登さくら駅”の別名を持ちホーム両側に約100本のソメイヨシノが咲き乱れる能登鹿島駅には、被災した近隣住民から他府県からも鉄オタを含めた多くの観光客が訪れることになった。
駅前には花より団子とばかりに、桜餅や炭火を使った焼き鳥から能登産の焼き牡蠣を販売する屋台まで繰り出し、近隣住民や他府県から訪れた人々の歓声が3カ月ぶりに能登にひろがった。濃緑色の天幕と車両に囲まれた自衛隊の屋外入浴施設にも枝垂桜が注ぎ、一気に華やかな彩に飾られるようになった。ただ管理する側の自衛隊員は桜の蜜に誘われ押し寄せるハチの群れに一時悩まされることになったが。
天皇皇后両陛下の被災地へのご訪問
そんななか住民が最も励まされたのは、3月22日と4月12日に行なわれた2度にわたる天皇皇后両陛下の被災地へのご訪問であった。一度目の輪島市、珠洲市のご訪問に続き、発災3カ月の節目には能登町、穴水町の2つの被災地を日が暮れるまでめぐり、住民を励ましつづけられた。
奇しくも不肖・宮嶋も3度目の能登取材中である。被災地ではお邪魔虫でしかないカメラマン風情がはなはだ厚かましいと重々承知のうえやが、この震災を記録し続ける務めの一環として、ぜひ両陛下のお姿を拝し、被災した住民らがどれほど元気づけられたかをしかと見届けんと、現場に向かったのであった。