「変わったのはうちだけ」困惑、そして激怒
呆然とする私、父、叔父、そして母。そしてその前を悠々と通り過ぎる近所のおばあちゃん。
「おばあちゃん通ってるが???」
私たちはおばあちゃんを見送ったあと、あれはどういうことだと不動産屋さんを激詰め……はしなかったけど食いつくように聞いた。
「あれどういうことですか、学校帰りの子どもも通ってますよね。でもそこは私有地では?」
「ああ、それはみんなが通れなくなったら困惑するだろうと、市とA家が話し合って私道通行権の許可を出したみたいですね」
俺らも困惑してるます‼
困惑してるます‼
しかし、我々の困惑は市にはいっさい考慮されなかった。つまり、A家は近所の人もいままで通り通れるように通行許可を出した。(これを私道通行権と通行許可といいます)だからうち以外の人はなんら変わっていない。変わったのはうちだけ。祖父が亡くなり、叔父と父が相続したあと、ひそかに市と隣家がぶつぶつ交換をして再建築不可になったうちの家だけ!
我が家は激怒した。
あまりの絶望感に叔父は寝込み、父はさじをなげ…
「これはもう市を相手に裁判するしかねえ!!!!!!」
もし、私が直木賞作家でありあまる富を有していたら、話のネタに市を訴えていた可能性もあった。だってこんなことある??
道路を拡張したいならちゃんと土地を買収しなさいよ。道路と交換すな!
しかし私は残念ながら直木賞作家でもなく、大学受験を控えた高校生に湯水のように教育費を溶かされる無力な一般家庭……。
市を相手取って裁判している余力も資金も気力もない。
かくして、決まっていた買い手さんも「再建築不可ならちょっと……」と去って行き、不動産屋さんも「築75年の再建築不可物件は難しいですねえ」とフェードアウトしていった。
残されたのは、叔父の遺物で足の踏み場もない築75年の売れないゴミ屋敷のみ!
「……これは、詰んだのでは?」
あまりの絶望感に叔父は寝込み、父はさじをなげ、そうして2年。
だれも、どうしようもないと思っていた家を、私は自分の手で売ったのです。