珠洲市へ移住した女子ウエイトリフティング界のレジェンド
浅田さんは、女子ウエイトリフティング界のレジェンド的な存在だ。大学までは陸上競技の砲丸投げ選手だったが、埼玉栄高校の体育教諭になっていた1987年、重量挙げ選手に転向。日本選手権で12連覇を含む優勝13回、世界選手権では90年代に3大会連続銀メダルと、輝かしい実績を残してきた。
しかし、女子ウエイトリフティングが五輪種目となった2000年は、すでに現役の晩年。選手として五輪出場を果たすことはできなかったが、04年アテネ、08年北京と、同競技の女子日本代表監督を務めている。
08年暮れ、男子ウエイトリフティングの元全日本選手権覇者でもある浩伸さんとの結婚を機に、彼の故郷である珠洲市に移住。2012年、浅田さんは小学生からウエイトリフティングを体験できる「スズドリームクラブ」を珠洲市に立ち上げた。能登出身で元日本代表監督の菊田三代治さんが初代監督を務めた飯田高校ウエイトリフティング部の指導者も引き継ぐと、国内トップクラスの選手を輩出し続け、現在に至る。
再起のきっかけは、1枚の写真
毎年3月に金沢市で全国高校選抜大会が開催される石川県は、ウエイトリフティングの聖地でもある。今年も飯田高校からは4選手の出場が当確だったが、
「被災した子供たちは親類宅や珠洲を離れた二次避難所に身を寄せていました。珠洲には大変な思いをしている人たちがたくさんいて、そんな中、選抜に向けて練習を再開してよいものか、彼らをどうやって支えたらいいのか、思い悩む日々が続きました」(同前)
再起のきっかけは、1枚の写真だった。
「1月中旬頃だったと思います。地震のあった元日以来、初めてシャワーを使うことができて感謝しているお母さんと小さい娘さんの写真が、新聞に載っていました。避難所にテント型のシャワー室を設置したのは、岩手県北上市の『北良』という(医療用ガス販売)会社でした。私も岩手県出身でしたし、ありがたくて電話をかけたんです」(同前)
その縁から、浅田さんは1月、被災地支援を続ける北良社長の笠井健さんと珠洲市内で対面。ウエイトリフティング部が置かれている状況を伝えると、笠井さんはクラウドファンディングによる支援を買って出てくれたのだ。
「子供たちは金沢市と津幡町に分かれて避難をしていましたが、クラウドファンディングで集まった支援金のお陰で、2月に3度、3月に1度、県外で合宿することができた。2月12日に金沢組が珠洲に戻ると、平日は野球部の更衣室を間借りして練習させてもらい、3月5日からは、市のウエイトリフティング場もまた使えるようになりました」(同前)