安倍晋三元首相が岸田首相に“期待していたこと”とは?

《国会では、憲法改正論議の進展に期待しています。ハト派の宏池会から出ている岸田首相の時代だからこそ、一気に進むかもしれません。》

 岸田首相は安倍氏の期待通りに憲法改正を言い(最近もあらためて口にしていた)、敵基地攻撃能力の保有など安保大転換は安倍氏の予言と期待どおりだった。

安倍晋三元首相 ©時事通信

 同時期の朝日新聞は岸田首相について、

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《批判を受ければ、ためらうことなく方針を転じる。変わり身の早さを、自民党幹部はこう評する。「ぬえみたいな政権だ」》(朝日新聞2022年1月5日)

 変わり身の早さを可能にしているのは「岸田自身のこだわりのなさだ」と評していた。

 ビジョンがなくこだわりがない岸田首相はなんでも飲み込んでしまう。この調子でどこまで行くのかと思い、私は当時「本当は怖い岸田政権」と名付けた。

 今こうして約3年間の岸田政権を振り返ると“実績”といわれる政策のセットとして「唐突」「ちぐはぐ」「国会軽視」「民主主義ないがしろ」などがついてまわる。

 徹底してプロセスがおそろかで、何か決めたように見えるが実態はあやふや(財源確保は先送りなど)なこともわかる。それは旧統一教会問題や自民党裏金問題の対応でも繰り返された。やはり「本当は怖かった岸田政権」ではなかったか。

就任直後の「新しい資本主義」「岸田ノート」はどこへ

 岸田氏は何をやりたくて首相になったのだろう。退陣表明を見て思い出したのは、岸田氏が子どもから首相になりたかった理由を尋ねられ「こうなってほしいと思うことを先頭に立って実現する仕事をしたいと思った。日本で一番権限が大きい人なので首相を目指した」と答えたことだ(昨年3月)。

 しかし広島選出で核廃絶がライフワークという割には世界に対して歴代首相と言うことが変わらなかったのは不思議だった。

 就任直後に語った「新しい資本主義」はどこへ行ったのか。「火の玉」も「岸田ノート」もどこへ。安倍・菅政権の政治手法を「民主主義の危機」と訴えた3年前の総裁選出馬会見の姿はどこへ。

 目の前のことをこなした約3年間という自己評価かもしれない。しかし総裁再選に色気を持って安倍派などに気を使い、国民には目先の人気取りに励んだ。その結果、何をやりたいのかわからない人になった。次の人にはやりたいことを明らかにし、国会の議論を大事にするところからまず始めてほしい。