したがって、彰子が一条天皇から愛されることは、なかったのかもしれない。だが、長和元年(1012)に彰子は皇太后になり、寛仁2年(1018)には太皇太后になる。そして道長が政界から引退したのちは、天皇の生母である国母として、弟の頼通らと協力して摂関政治を支えた。

その後は伯母であった東三条院詮子と同様、女院号を賜って上東門院と称し、87歳の長寿を全うした。この時代の長寿ゆえ、子や孫に次々と先立たれながら、摂関政治の終焉まで見届けた。夫に痛いほど愛され24歳で逝った定子と、夫に愛されることはなかったが宮廷のトップで長寿を全うした彰子。それぞれに不幸であり、それぞれに幸福だったということだろうか。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。