雄大はモデル体型になることまで強要し食事を制限、結愛は栄養失調状態にも陥っていた。結果、16キロあった体重は、東京に来てから死亡するまでの1ヶ月半で12キロまで減少。さらに、朝4時に無理にでも起こし、九九の勉強をさせる。サボったり言いつけを守らなければ、拳が容赦なく振り下ろされた。

我が子を虐待死に追いやった父親・船戸雄大(写真:筆者提供)

 善通寺市を管轄する児童相談所から引き継ぎを受けた児童相談所の担当者が訪ねてくるも、雄大に絶対服従の優里は追い返した。万事休す。2018年3月2日、結愛は亡くなった。死因は栄養失調による敗血症。あと1ヶ月もすれば小学校に入学する予定だった。

虐待が厳罰化したターニングポイント

 事件から1年経った冬、もぬけの殻と化したアパートは取り壊される。外国人たちがヘルメットを被り、重機を動かす。結愛は、わずか数ヶ月であってもここに暮らしていた。だが外国人たちはおそらくこのアパートで何があったか知らないし、また興味もない。私は解体作業をじっと見ていた。事件から目を背けたい。けれども忘れてはいけない。そんな思いを投影するかのごとく、現場で足を止める住民は少なくなかった。

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わずか5歳でこの世を去った結愛(母・優里のFacebookより)

 雄大、懲役13年。優里、懲役8年──。判決が言い渡された瞬間、虐待事件の厳罰化を望む者たちは、心の中でガッツポーズを決めたことだろう。ひいてはこの事件後の2019年1月に発覚した千葉県野田市の虐待事件では懲役16年の判決が下されている。結愛の死、警察の怒りがなければ、あわやお手盛りの判決が連発していたはずだ。

(文中敬称略)