2018年、5歳の娘を虐待死させた、父親の船戸雄大(当時33歳)と母親の優里(同25歳)。なぜ2人は幼い娘が命を落とすまで、虐待をやめなかったのか? 犯行にいたるまでの経緯、そして同事件が社会にもたらした影響を、ノンフィクションライターの高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「日影のこえ」による新刊『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

我が子を虐待死に追いやった母親・船戸優里(写真:筆者提供)

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「娘の身体から見つかったアザの数は170」

 マスターの記憶によれば、最初に顔を出したのは2018年1月。雄大は緊張した面持ちで暖簾をくぐった。ハイボールを一つ。アテはミックスナッツ。マスターは間合いを読みながら声をかけた。

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「初めてですよね。お近くにお住まいですか?」

「引っ越したのは最近です。妻と子供は1週間後に来ます」

 マスターは雄大を礼儀正しい男として認識した。新生活の不安はあるのかと聞くと、「今まで食品会社で働いていたんですが、新しい仕事を始めようと思っています」と希望を覗かせたという。

「芸能界のマネージャーをやりたいと話をされていたので、何か当てがあるんですか?って聞いたら、特にないですと。だから、新たに東京に出てこられて、お子さんもいらっしゃるなかで仕事を始めるなんて大丈夫かなって、ちょっと心配になりました。ただ、この辺りは過ごしやすいというか温かい地域なので、頑張ってくださいねと声をかけました」

 ここが人に優しい地域であることは、私も感じていた。昔から地元に住む人間と新しく越してきた住人の間に溝ができることは珍しくないが、東が丘は違う。地域行事一つとっても垣根なく多くの人が参加する。この店でも偶然居合わせた者同士がわだかまりなく一緒に飲む姿を、私は何度も目にしていた。

 実際、雄大が初めて店を訪れた日も彼にとっては絶好とも言うべき来客があった。

「地域の活動をおやりになっているみなさんがグループで来てくださったんですね。なので、紹介させていただいて。みなさんは『地域のお祭りもあるし、お子さんがいらっしゃるんなら、子供たちが参加できる活動もあるんで、ぜひ来てくださいね』って。彼も喜んでくれたんです」

 雄大はその後、家族が東京にやってきたタイミングで、このとき築いた人脈を使い夫婦揃って挨拶回りまでしていた。が、結愛は自宅に残したまま。もはや外に連れ出せる状態ではなかったのだろう。思うように就職先が見つからない苛立ちを結愛にぶつけ、サンドバッグにした。死後、結愛の身体から見つかったアザの数は、顔から足の裏まで全部で170。