石丸話法は軍人に似ている

 今回の都知事選で、最も話題を振りまいたのは石丸伸二氏であろう。東京において一般的には無名と言っていい候補が約166万票も獲得したことが石丸現象と呼ばれ、テレビなどで石丸氏が語る独善的な話法が石丸構文などと称されている。石丸氏を支持した若者層は、旧態依然たる体制を大胆に塗り替える改革者と見ているようだし、石丸氏を否定する人々は、今日的な不気味さを宿したタイプと感じているようだ。

石丸伸二氏 ©時事通信社

 だが、私には既視感がある。石丸氏のような話し方をする人物は、実はかつての軍人に数多くいたのだ。自分だけの世界があり、その狭い自分の世界と自分の知識の枠のなかだけで、社会現象や人間存在を考えている。他者と開かれた形で出会えないから信頼関係をつくれず、自分が理解できないことを言われると、他者を罵倒するしかない。このような言動に快哉を叫ぶ人が相当数いることに、私はおののく。過去がよみがえるのだ。

保阪正康氏 ©文藝春秋

 1940(昭和15)年、衆議院本会議で質問に立った民政党の斎藤隆夫は日中戦争をめぐって米内光政首相を追及した。「反軍演説」として知られる演説である。

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《いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない》

 穏当で筋の通った時局批判である。これに対して陸軍省の政治将校たちは「斎藤の演説は支那事変の聖戦目的を掲げる軍事への侮辱であり、10万の英霊に対する冒涜である」と罵倒し、記者にも怒りをぶちまけている。その動きを知った議会内の親軍派の議員たちはやがて斎藤の除名運動を求めていく。除名決議においては賛成296名、空票144名、反対7名という結果となり、実際に斎藤は除名されてしまうのだ。この流れは、天皇機関説事件にも似ている。圧倒的な賛成多数であることは、政治家が軍に自発的に追従した結果である。

 新しい熱狂が、新しい翼賛を準備する可能性は大いにある。私たちは歴史を繰り返そうとしているのではないだろうか。

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「都知事選の危険な熱狂 日本の地下水脈」)。