「パソコンの電源の入れ方がわからない」「小さい文字の『ぃ』や、『ゔ』が打てない」…1年目の配属先では、簡単な作業もできなかった光通信の新入社員。しかし、そんな彼もさまざまな人たちの協力を経て、努力を重ねることで立派なビジネスパーソンとして成長していく…。
2003年、19歳で光通信に入社したのち最年少の役員に。さらにその後、HIKAKINと出会い、UUUMを創業し、日本のYouTuberの躍進を支えた鎌田和樹氏による初の著書『名前のない仕事──UUUMで得た全知見』(ダイヤモンド社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「一体感」は悪いものではない
「ゾス! 失礼します!」
そう言って社長室に入る。「ゾス!」は「オス!」の上位互換だ。
さて、何のことやら、さっぱり意味不明でしょう。
あのときの僕もそうでしたから──。
パソコンの電源の入れ方がわからない
社会人として、「会社に染まる」という話です。
営業から飛んだ僕は総務に異動し、「光センタービル」に出勤することになりました。
当時の総務は6階で、7つの机がある島にいました。
僕の机の右には男性のサブマネジャー(係長クラス)、向かいには男性の先輩(ビル担当)、左には女性の先輩(社宅担当)、そのまた左には男性の先輩(消耗品担当)という配置でした。あとの2つは空席です。
当時の光通信は、社員が1万人ほどいたと思います。
その中で、社員の社宅管理だったり、稼働しているオフィス(ビル)管理だったり、営業が使う車輌の管理、消耗品発注、コールセンターの通信費管理などを取り扱い、まとめていました。
今でも驚くのは、それを少数精鋭でこなしていたことです。
会社としては、バックオフィスはコストセンターという扱いなので、少なくするメリットがあるのはわかりますが、それでも「5人」で1万人の規模を回していたのは、本当にすごい。
そんな総務課の中で、僕が最初に担当になったのは「社宅担当」でした。
一人暮らし用の社宅「単身者用」と、家族用の社宅「家族世帯用」が、全部で1500戸ありました。
光通信は各地方に拠点を持っていたので、社宅は必要不可欠でした。
それらの社宅を一人で管理している先輩女性がいて、僕はそのサポートとして入ったわけです。
最初の仕事は、溜まりに溜まった物件の契約書を「物件台帳」というものに手入力することでした。
物件名、住所、水道光熱費の連絡先、管理会社の連絡先、そして、いつから誰が入居しているかなどの情報をすべて入力します。
僕の隣にいた先輩女性は、仕事に対して厳しくて怖い存在でした。
いつも先輩女性の左に座っている人を叱っていました。
あとから聞くと、僕よりほんの数ヶ月前に移ってきた方でした。
「前にも言ったよね? なんでメモとか取ってないの?」と、詰められているのを見て、「一度聞いたことは、二度と聞いちゃダメなんだ……」と理解しました。社会人はそういうものなのだと。
そんな光景を見て、僕は戦々恐々としたのですが、どうしても質問しないと仕事が進まないことがありました。
というのも、当時の僕は、大学にほとんど通わなかったこともあって、パソコンスキルが皆無でした。
今でも2つのエピソードを覚えています。
1つ目は、「パソコンの電源の入れ方がわからない」ということです。