1980年代、アイドルらしい髪型を突然やめて、ベリーショートになった小泉今日子。事務所やスタッフは驚愕、さらに髪型と衣装のミスマッチにファンたちは驚くことになる…。しかし、それでもベリーショートにしたことが、彼女のキャリアの中で「大成功」だった理由とは? 構成作家のチャッピー加藤氏による小泉今日子の研究本『小泉今日子の音楽』(辰巳出版)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

第4弾シングル『春風の誘惑』の小泉今日子さん(画像:Amazonより)

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「キョンキョン、何があった?」

 ところで、髪をバッサリ切ったのは、イメージを大きく変えた第5弾『まっ赤な女の子』からと思っている人が多いが、実際はその前、第4弾の『春風の誘惑』からだ。

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『春風の誘惑』は、前作同様、マイナー調の王道アイドル路線。作詞の篠原ひとしは、髙橋隆ディレクター(初代小泉担当、以下髙橋D)が小泉と掛け持ちで担当していた伊藤さやかに詞を提供していた。

 作曲の緑一二三は覆面ネームで、正体はたきのえいじ。『私の16才』の作曲者だ。この頃たきのは演歌歌手への提供曲がヒットしていたため、髙橋Dの意向で名前を変えた。

 編曲は、ここで満を持して大御所の萩田光雄に依頼。今回も“ディスコ路線”が継承されたのは言うまでもない。

 篠原と緑がイメージしたのは、古風でおとなしめの清純派少女であり、髙橋Dの発注もそうだった。そんな曲が完成した後に、小泉は髪を切ったのである。社長だけでなくスタッフも、短髪になった小泉を見て「エーッ!」と驚愕したそうだ。なぜなら歌番組で着るのはフリフリの衣裳であり、ショートヘアでは確実に似合わないからだ。

 実際、ショートで『春風の誘惑』を歌う当時の映像を観ると、ミスマッチ感が半端ない。

 私もテレビを観ていて「キョンキョン、何があった?」と余計な心配をしたほどだ。

 ここで注目したいのは、小泉はただ衝動に任せて髪を切ったわけではなく、ちゃんと計算があって実行に踏み切ったことだ。世間では俗に“聖子ちゃんカット”と呼ばれていたレイヤードカットは、流行が続いた分、女の子の間ではもうすでに飽きられていて、やがてショートの時代がくることを小泉は予感していた。

 そもそも、聖子自身がとっくにその髪型を卒業しているのに、なんでその後を追わないといけないのか? 髪を切ったのは、そういう違和感を抱えたままアイドル仕事を続けていくのはもう無理です、という宣言であり、もっと時代に合った、違う方向でやりません? という大人たちへの“提案”でもあった。

 ちなみに小泉今日子、当時まだ17歳だ。