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偶然の連続だった社長との出会い

――こつこつ続けていたら通販CMでブレークするのだから、わからないものですね。

保科 年に1度、大阪に吉本新喜劇を見に行くんです。そしたら桂文珍さんが「夢グループ」のCMの話題を出してくださって、「あの社長おもしろいよね。そして、横にいる中途半端に色気のある女性」って。「ここにいます!」と思わず手を挙げたいくらいでした(笑)。予想外の形で注目されることになりましたが、人を楽しませることは好きなので、これはこれで良いと思っています。

「誰が歌っているのか知らないけど、この歌好きだな」みたいに歌が独り歩きするのが夢でした。今は「やすぅ~い」が独り歩きしています(笑)。それに「やすぅ~い」で興味を持って、私の曲を聞いてくださる方もいますしね。自分で言うのもなんですが、切ない歌はピカイチですよ。

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――社長に出会っていなかったら、どんな人生だったと思いますか?

保科 歌手を諦めて、地元に戻って、細々と歌の先生でもやっていたかな。歌にこだわりすぎていたら今の私はなかったでしょうし、望まないほうが逆に道は拓けるのかもね。

ついにはTシャツ化。石田社長と出会ったことで彼女の人生は動いた(画像提供:夢グループ)

――そもそも社長とはどのように出会ったのでしょう?

保科 その頃、私は事務所を辞めてフリーの歌手でした。奥様方に歌をご指導させていただいて生活費を稼いでいましたが、いよいよ食べられなくなったら地元に帰るしかないぞと。そこで知り合いのディレクターのSさんに「どこか入れてくれそうな事務所はないですか」と相談していました。それでSさんが社長に声をかけてくださったわけですが、Sさんというのは、社長が狩人さんのレコードを出すときに大変お世話になった方。そんな相手から頼まれては社長も無下にはできません。

 ただ、そのときSさんは、事務所を探している女性歌手を私のほかにも2人抱えられていたんですよね。「女性歌手が3人いるんだけど雇ってくれない?」というSさんの頼みに対して、社長は「3人みんな雇うのは難しいけど、とりあえず近々で歌う人を見に行くよ」と答えられたそうで、そのとき一番近々で歌う予定があったのが私でした。

「私の人生、挫折と奇跡の繰り返し」 ©石川啓次/文藝春秋

 私はホテルのラウンジでしっとり歌っていたんですが、社長は海外の賑やかなショーラウンジがお好きなので、内心つまらなかったみたい。だけど私が「よろしくお願いします」と挨拶したのに社長はうっかり「はい」と返事しちゃったものだから、「夢グループ」に入れるしかなくなっちゃった(笑)。人生わからないものですね。もしも偶然が重ならなかったら……と想像すると、ぞっとしますよ。