“昭和”の空気を感じる「ゆるいCM」でおなじみの通販会社、「夢グループ」。石田重廣社長と、歌手の保科有里さんが、低価格の商品を棒読みの掛け合いで紹介する不思議な魅力にハマった人も多いだろう。夢グループは2023年5月の歌手活動引退を発表した橋幸夫さんや黒沢年雄さん、チェリッシュさんらなど、大御所芸能人が所属する芸能事務所でもある。CMのゆるさの謎や、夢グループの成り立ちについて、石田社長に話を聞いた。(全2回の1回目。後編を読む

インタビューを受ける石田社長

福島で野球選手を夢見ていた10代

――石田社長のご出身は東北・福島なんですね。

 昭和33年7月1日、福島県福島市で生まれました。僕自身はまったく意識していないんですが、「なまってますね。出身はどちら?」とよく言われます(笑)。浪人生時代、築地市場のバイトで気の荒い職人さんから「兄ちゃん、言ってることわかんねえんだよ!」と追い返されたりしましたが、まあそれがきっかけで、取り引き先と話が弾んだり、仲良くなれたりすることもありますから、ビジネス的にはむしろよかったんじゃないかなと思います。

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――子ども時代はどんなでしたか。

 父は県庁の職員で、平凡ですが厳格な家庭。教育熱心だったので、僕は国立の福島大学教育学部附属小学校・中学校へ通ったのですが、勉強が嫌いでトンチンカンなことばかり言って友達からも相手にされず成績はいつも最下位。子どものときの夢は野球選手になることでした。まわりは巨人ファンばかりだったんですけど、僕は衣笠(祥雄)や外木場(義郎)、高橋慶彦のいた広島カープが大好き。人と違った事がこの頃から好きだったんですね(笑)。

 で、地元の進学校に行くのではなく、夢をかなえようと野球の強豪校である東北高校(宮城)に入学。中3ですでに身長が180センチあったので期待されていたんですが、その年に学校内で不祥事があって、それからの対外練習試合も公式戦も無期限で全部中止だと高野連から発表がありました。あまりの理不尽さに呆れて、「こんなんじゃやってられない」と反発して退部したんです。その後、大学受験のため上京しましたが、全部落っこちて浪人することになったんです。

大学受験料を盗まれ、ドロップアウト

――野球選手の夢をあきらめ、大学もダメだったと。

 大変な挫折ですよね。でも東京のひとり暮らしが楽しくて、予備校生なのに遊び呆けちゃった(笑)。で、実家から送られた大学受験料、16万円の入った現金書留を4畳半のアパートに置いていたら、鍵を開けっ放しにしていたせいもあるんですが友達に盗られてしまって。親にも申し訳が立たないし、それに、若くていい加減でしたから、そのままドロップアウトしちゃった。自立しようと牛丼の吉野家をはじめいろんなバイトをしましたが、どこでも2、3日ですぐにクビ。