そんなハプニングはあったものの、学園祭への参加は大成功だった。持ち前のサービス精神で、気づけば司会役も買ってでていた。演奏のみならず、ギャグを連発。得意としていた長嶋茂雄や王貞治のモノマネなども繰り出し、コンサート会場である教室を、大いに盛り上げた。ただ、桑田いわく当時のモノマネは、たいして似てはいなかったという。とはいえ彼の体には喜びのエキスが充満し、それはまさに、夢のような体験となり、この夢が、ずっと続けばと願うのだった。
大学生になったらバンドに打ち込みたい、素敵な女子とも……
1974年の春。桑田は青山学院大学の経営学部に入学する。受験勉強は、英語と現国を重点的に行った。
晴れて大学生になったら、バンド活動に打ち込みたい。桑田はそんな計画をたてていた。さらに、素敵な女子ともお近づきになりたい。後者に関しては、素敵な女子、どころか、人生の伴侶と出会うことになるのだが……。
1年生のとき、さっそくバンドを組む。「温泉あんまももひきバンド」という、実にユニークな名前は、自ら名乗ったのではなく、気づけばそう呼ばれていたのである。入部した音楽サークル「AFT(青山 フォーク 出発 )」の合宿が長野の温泉で行われた際、1年生ながら、大いに目立ってしまったことも関係していた。
重要なのは、その後、サザンオールスターズのメンバーとなる、関口和之との出会いだ。彼は新潟の出身で、大学のある渋谷からほど近い駅に、アパートを借りていた。桑田は茅ヶ崎の自宅から通っていたが、しばしば関口の部屋を訪ね、下宿生の気分を味わうこととなる。関口は、そんな来訪者を拒むことはなかった。泰然自若たる佇いを崩さず、桑田達を受け入れたのである。
しかしこのバンドは、お世辞にも充実しているとは言い難かった。そもそもドラムが見つからず、本当はギターを弾きたい友達に頼み、無理矢理叩いてもらっていた。ドラムの演奏というのは、両手と両足を器用に連動させてこそサマになるが、急ごしらえのドラマーゆえ、彼は足でバスドラを操り演奏に迫力を加えることもなく、主に上半身のみで頑張ってくれていた。
ドラム・セットは桑田が通販で購入したものである。経営学部の彼のバンド経営は、この出費により逼ひっ迫ぱくするが、是が非でもバンドをやりたいという、強い想いは揺るがなかった。