1977年のデビュー以来、“国民的バンド”として人気を集めている「サザンオールスターズ」。彼らの半世紀近くの歩みを綴ったノンフィクションが『いわゆる「サザン」について』(水鈴社)である。ここでは一部抜粋し、桑田佳祐が青山学院大に入学するまでの日々を振り返る。(全3回の1回目/#2#3を読む)

サザンオールスターズ

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ギターを手にしたのは必然だった

 サザンオールスターズの歌に、たびたび登場するのがエボシ岩だ。でも桑田佳祐は、地元・茅ヶ崎の名所を、世に広めようとして歌ったわけではないだろう。嬉しい時も悲しい時も、ふと視界に入るのが、海に浮かぶあの岩だった。無意識のうち、彼の胸に映り込んでいたのが、あの風景だったのだ。

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©時事通信

 彼がエンターテインメントの世界に身を投じることになるのは、家族の影響もあった。母は耳元で、子守歌代わりにスタンダード曲を歌ってくれたというし、父は桑田が口ずさんだ覚えたての流行歌を、上手だと褒めてくれた。父は一時期、地元の映画館の支配人をしていて、学校が終わったあと、ランドセル姿で鑑賞することも出来た。姉はビートルズのジョン・レノンに心酔した自由な考え方の持ち主で、ビートルズを解散させた元凶はオノ・ヨーコだという噂を信じ、弟を引き連れ、藤沢の実家のお屋敷に、無謀にも抗議に出掛け、家に向かって石を投げ付けたりもした。

 中学校の頃は野球に熱中しつつも教室の教壇で即席の歌謡ショーを開き、クラスの人気者だったが、高校へ進んでからは、より楽器にも親しむようになる。姉や友人からの影響で好きになったビートルズは、なにより自分達自身で演奏しながら歌っている。ギターを手にしたのは必然だったのだ。

県立鎌倉高校の学園祭での成功体験

 そして運命の日が……。ひとつの成功体験が、その後の国民的バンドを育んだといっても過言じゃない。桑田佳祐、高校3年生の秋。生まれて初めて人前で演奏し、大いにウケた。

 私立鎌倉学園に通っていた彼が、友人の伝で、県立鎌倉高校の学園祭に招かれる。江ノ電で楽器を運び、辿り着いた教室は、窓が遮光され、裸電球がぶら下がっている。ステージと客席はロープで仕切られ、大勢の女子も詰めかけていた。自分は男子校だったので、その光景が眩しく、嬉しかった。

 当日は、他のバンドも出る予定であり、彼らは前座の扱いとも言えた。しかし贅沢は言えない。なにしろ他校からのゲスト参加だ。演奏したのはビートルズの「マネー」と、ロックンロールの古典「ブルー・スエード・シューズ」だった。

 その時、ちょっとした事件が起きる。実は桑田、歌詞はうろ覚え。目の前で、別の友人にカンペを持ってもらっていた。

 ところがその彼が、演奏中、女の子とどこかへ消えてしまう。仕方ないのでアドリブで、適当な単語を繫げ、その場を乗り切る。よく考えたら、それは桑田にとって、初めての作詞、ともいえる出来事だった。