大阪拘置所で首つり自殺を図り、そのまま死亡
押谷が逮捕され、9カ月あまりが経過した2008年9月20日、押谷は収監されていた大阪拘置所の単独室でシャツとタオルを窓枠にくくりつけて首吊り自殺を図り、9月27日に死亡が確認されたのだ。
押谷は、何故みずから命を絶ったのだろうか。
自責の念にかられて……といった殊勝な理由は考えられない。というのも、逮捕直後の2007年12月27日、押谷の勤務先である金属部品製造会社(大阪府豊中市)が「押谷被告に会社の資金約7億円を着服された」として府警に相談し、業務上横領容疑で刑事告訴する方針を打ち出していたからだ。
2001年に約2億円を着服して押谷が阪急の子会社を懲戒解雇されたのは先述したとおり。その後、押谷は金属部品製造会社に経理として再就職したのだが、そこでも懲りることがなく、着服を繰り返していたのである。しかも、前回の3.5倍の7億円という大金を。
結局彼は、みずからの行いを反省することなどなく、自身の歪んだ欲望を充足させることにしか興味がなかったのだ。殺人だけでなくこれまでのすべての犯罪行為が露見したことで、「人生が詰んだ」と悲観しての自殺だったと考えられる。
犯人が適切な裁きを受けて罪を償うことは、被害者の名誉を守るために、また残された家族の心を平安を取り戻すためにも必要なことだ。だからこそ犯人の供述によって事件の全容を明らかにする必要があるはずだが、押谷はその責務を果たすことはなかった。
思い返してほしい。表沙汰になっていないだけで、彼の犯罪行為はたびたび露見していた。水も漏らさぬ完璧主義者を装って“表の顔”を取り繕っていても、欲望の抑制ができずに犯罪行為がエスカレートしていき、やがて足がつく。
もし彼が、“表の顔”のような用意周到さで、横領や変態行為に手を染めずに息を殺すような生活をしていたら、本件は“未解決事件”として迷宮入りしていたのかもしれない。だが、天網恢恢疎にして漏らさず。
どれほど完全犯罪を計画しようとも、自業自得によって“未解決事件”が解決に至ることも、あるのだ。