ボロボロの市営アパートに住み、ヘルパーの間では「セクハラジジイ」と噂の高齢者。ところが彼の人生を深堀りすると、“意外な過去”が明らかに…。介護ヘルパーとして彼を支えた、佐東しおさんの新刊『介護ヘルパーごたごた日記――当年61歳、他人も身内も髪振り乱してケアします』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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「セクハラジジイ」の驚きの正体
「ん? その名前、たしか太陽モーターの経営者じゃろ」
夫が驚いたように言う。
私たちの仕事には守秘義務がある。個人名など家族にも話したことがなかったが、つい「アカナベ」という呼び方の由来を言ってしまったときのことだ。
太陽モーターはこのあたりに数店舗を構えていたカーディーラーで、10年ほど前にすべての店が閉店していた。
「自動車だけじゃなくて、貸し事務所なんかも手広くやっていたから、不動産物件もいくつか持っていたはずじゃろう」
そんな会社の元社長がなぜ、今はエアコンもないアパート暮らしなのか。
その話を聞いた数日後、アカナベに「太陽モーター」と言ってみた。大きな目が見開かれた。
「なんじゃ、知ってしもうたんか。あんたんとこの聞き取りでも隠しておいたのに」
「珍しい名前ですし」
「あのな、2億。たった2億や。店やビル、全部整理して2億しか残らんかった」
「2億!? それがなんでこんなとこ住んでんですか?」
思わず失礼なことを叫んでいた。
「たった2億でもな、現金があると知ったら、親族がたかってくるんじゃ。それにな、店をやめたときにはまだ妻が生きていたから、旅行しようと思ってキャンピングカー買った。釣りをしてのんびりしようと思って、船と海辺の家を買った。そんなもんでなくなるもんじゃ」
そう言いながら、私の太ももを撫でた。
セクハラジジイは、胸やお尻をさわらぬ程度の節度はあった。だけど、太ももには手が行くようになっていた。そのうえ、ときどき手にチュウをする。怒りまではいかないけど、やっぱり嫌だ。アルコールふきんが欠かせない。
「この年になりゃあ2億もいらんもんじゃ」
「超豪華な老人ホームに入れば、毎日ご馳走を食べてすごせるじゃないですか」
「ここで上等じゃ。うまいもんはその鍋の中にあるけえ。今日はわしが作っといた。食べてみんさい」
真っ赤な圧力鍋をあけると、豚の角煮があった。肉屋に電話して、豚バラブロックを持ってこさせたらしい。
「味のポイントはのぉ、みりんを1瓶みな入れることじゃ」
狭いキッチンに500mlのみりんの空きビンがある。なんという恐ろしい料理と思ったのに、食べてみるとおいしい。
「じゃろ。2億のうてもうまいもんは食えるんじゃ。あと、わしがやりたいことはバス旅行じゃ。テレビでよぉ宣伝しとろー、九州の温泉。バスで連れて行ってくれるのがあるんじゃげな。支えてくれる人さえおりゃ行ける思うんじゃ。一緒に行こうや。そんぐらいの金は残っとる」
そう言ってまた太ももに手を伸ばす。