「半年で結果を出す」と啖呵
社葬の日の和解で銀行とのギクシャクした関係は解消したかに思えたが、そう簡単にはいかなかった。
数日後、会社に再び支店長と担当者がやって来た。
何の用事だろうと訝りながら社長室に通すと、2人はすぐに話を切り出した。私が社長に就任したばかりのダイヤ精機に、いきなり合併話を持ちかけてきたのだ。
相手は東京都内でダイヤ精機と同じように精密加工を手がけているメーカー。売り上げ規模や従業員数もほぼ同じだ。
「ここと一緒になれば、売り上げは2倍になり、事務部門の縮小でコストが削減できます。メリットは大きいですよ」
担当者はそう説明した。
だが、日産自動車など大手企業を取引先に抱えるダイヤ精機と比べ、先方の会社の取引先は中小規模の企業が中心。あまり魅力は感じられなかった。
そんな中で、支店長がとどめの一言を発した。
「社長には、お辞めいただきます。合併後の新会社社長には、先方の社長に就いてもらいます」
また一気に頭に血が上った。
「どういうことですか?」
銀行は、ついこの前まで主婦だった私に社長の仕事を担う力量はないと判断していた。
そして、その私がトップに立ったダイヤ精機は、もはや単独では生き残れないと見限った。
表面上は対等合併であっても、実態は相手企業によるダイヤ精機の吸収合併のようだった。国内随一の超精密加工技術を持つ職人だけを取り込み、それ以外の人員は大幅にリストラされてしまうだろう。
私に辞めろと言うのは構わない。だが、社員が不幸な境遇にさらされるのは絶対に御免だ。
「冗談じゃありません」
銀行の提案を一蹴した。
「ダイヤ精機にとって、この合併は全くメリットがない。お断りします」
だが、なおも支店長と担当者は「経営悪化が止まらないダイヤ精機はもはや単独では事業を継続できない」「合併しか生き残る道はない」と説得してきた。押し問答が続いた。
「わかった。とにかく半年待って。それまでに結果を出すから。良い結果が出なかったらあなたたちの好きなようにしていい。ただし、結果が出たら単独でやらせていただきます」
最後はそう啖呵を切って2人を追い返した。
バブル崩壊後、ダイヤ精機は景気低迷の影響を受け、売上高はピークの半分以下の約3億円まで落ち込んでいた。にもかかわらず、社員数は27人とバブル期とほぼ同じ。経営難は深刻だった。
そうした中で、創業者の後を継いだのは主婦だった娘。周囲は「あの会社はもうダメだ」「このままいけば倒産する」と噂した。銀行としても手をこまねいているわけにはいかなかったのだろう。
身売りを提案され、ダイヤ精機に対する評価の厳しさ、私自身の社会的信用の低さを痛感した。
「一刻も早く業績を立て直さなくては……」
残された時間は少なかった。