19歳で起業し、「ギャル社長」として注目を浴びた藤田志穂さん(38)。ギャルの地位向上を目指して活動をし、農業とコラボした「ノギャル」プロジェクトも推進した。
そんな藤田さんに、ギャル社長当時に受けた洗礼から、シングルマザーとしての現在までの話を聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)
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「ギャル社長」のネーミングは明石家さんまさん
――高校卒業後、19歳で起業。「ギャル社長」として脚光を浴びました。会社を起ち上げたきっかけは?
藤田志穂さん(以降、藤田) 「ギャル社長」というネーミングは明石家さんまさんです。『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)に出させてもらった時、隣に次長課長さんがいたからその流れで「社長」になったんです(笑)。
高校の時、散々ギャルの見た目で差別を受けてきましたが、結局、高校を卒業して社会に出てもそれはまったく変わらないことがわかって。
渋谷で街頭インタビューに普通に答えると、「もうちょっとギャルって感じでバカっぽくできない?」とTV局の人に言われたり、バイトの面接に行くと「“そういう人”はお断りしている」と外見だけで判断されて落とされる。そういう鬱憤が溜まりに溜まって爆発する事件があったんです。
“ギャル革命”を起こしたくて起業
――詳しくお願いします。
藤田 読者モデルをやっていた時、撮影に使う衣装のスタイリングについて皆で頭を捻ってたら、スタッフの人に「お前たちはただのバカギャルなんだから、モデル気取ってないで黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ!」と怒鳴られたんです。
――そんな風に藤田さんたちを捉えていたんですね。
藤田 一緒に面白い誌面を作る仲間だと思っていたのに、結局はその人もギャルをバカにしている世間の人と一緒だったことがわかって。それで、ギャルのイメージを変えるための“ギャル革命”を起こしたいと思って起業したんです。
――決意からわずか3ヶ月ほどでギャルに関するマーケティング会社「シホ有限会社G-Revo(=ギャルレボリューション)」を起ち上げます。