藤田 一生懸命つたない敬語でメールを書いたら、社外の人から「これが噂のギャル社長のメールw」みたいな感じで、私が書いたメールが転送されてきたことがありました。
――相手は間違えて藤田さんを宛先に入れてしまったんですね。何か返したんですか。
藤田 いえ、知らないフリをしました。悔しい思いをしたことも多いですけど、逆に言えば、「ギャル」ということで許されることが多かったし、覚えてもらえることも多かったんです。私からするとそれも武器の1つであって、うまく使えるものはなんでも使っていこう、という感じでやってきました。
23歳で「ギャル×農業」プロジェクトを始めたワケ
――ギャル社長退任後、23歳ではじめた「ギャル×農業」プロジェクトも大きな話題になりました。
藤田 農家の後継者不足や耕作地が放棄されている問題を知って、祖父が魚沼産コシヒカリを作る農家だったこともあり、食と農業の危機を身近に感じ、「ノギャル」プロジェクトをはじめたんです。
起業した時もそうですが、新しいことをすると批判されたり「そんなの無理だよ」って言われることが多いんです。特に食にまつわる分野でお仕事をされている方はプライドをもってやられている方が多いので、理解してもらうのに時間も必要でした。
――チャラチャラした格好で踏み込んできて、みたいなことですか。
藤田 ただ、それによってメディアも農業を取り上げてくれるので、皆さんの作業の邪魔にならないよう配慮したり。「ギャル×社長」でみんなが興味をもってくれた私だからこそ、「ギャル×農業」でメディアに関心をもってもらえるはず、と確信があったんです。人は振り幅が大きいほど興味を持ちますから。
――現在は食と若者をつなぐプロジェクト「ご当地!絶品うまいもん甲子園」を運営されています。
藤田 ノギャルの時に話題作りはできたかもしれないですが、肝心な第一次産業の支援が難しかった。だから、食に関わる高校生たちを支援することで、高校生と生産者がつながる、地方活性化を目的とした「ご当地!絶品うまいもん甲子園」を立ち上げました。本当にたくさんの企業様に協賛していただき、今年で12回大会を迎えています。
――藤田さんは高校卒業後すぐに起業されましたが、益若つばささんのようなギャルのカリスマがどんどん生まれていった時代です。藤田さん自身も読者モデルをされていた中で、周囲のギャルを見て羨ましくなることはなかったですか。