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 くも膜下出血だったようで、血が出ていたりするわけじゃなかったんですが、やはり怖くて、体に触ったりできませんでしたし、しばらく脳裏から離れなかったですね。

――ショックはどれくらいまで続きましたか。

フジタ 小学2年生くらいまでですかね。僕は色々あってその家に一人暮らしをするようになっていたんですが、夜、母親が死んだ家に1人でいるのが怖いのと、おばあちゃんや父方の伯母が泊まりに来てくれた時なんか、大人が寝ている姿を見るのが怖くて。「死んじゃうんじゃないか」と思ってしまう、その感覚は覚えています。

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――お母さんが亡くなったあとのお父さんとお兄さんは、どういった様子でしたか。

フジタ 母が亡くなって1年間くらいは、お父さんはすごく良くしてくれたように思います。ごはんも作って洗濯もしてくれて、怖くはあったけれど、根は優しい人なので。仕事にも行っていましたし、泣いてる姿は一度も見たことがないです。

 お兄さんは18歳くらいだったんですが、すでに両親が2人とも亡くなっているわけですよ。だから家に帰らず、当時で言うディスコとかに朝まで行っていたりしたようです。

父親が友だちの母親と出会い、家を出て行ってしまった経緯

――お兄さんとお父さんは血が繋がっていないわけですものね。

フジタ お父さんからすれば養子で、さらにお母さんが亡くなったからみなしごという形になりましたね。

――お母さんが亡くなって1年が過ぎてから、お父さんに変化があったそうですね。

フジタ お父さんはお見合いを何度かしたりもしていたんですが、ある時から家に帰らなくなってしまって。僕の同級生にK君という子がいて、その母親がシングルマザーで。その人と出会ってから、一瞬で家を出て行ってしまいました。

子ども時代のフジタさんと父親(写真=本人提供)

――お父さんはK君のおうちで暮らすようになったということですか。

フジタ そうです。当時僕は小学2年生で、K君が僕の家に遊びに来ていた時、遅くなると母親が迎えにきていたんですが、その時に出会ってすぐ、だったと思います。

 最初はK君とそのお母さんがこっちの家に来ていたんですけど、僕のお兄さんがものすごく怒って。言ってしまえば、お母さんが遺した家に、自分とは血の繋がっていない養父が別の女性を連れ込んでいるわけですから、怒るのも当然なんですけど。それで仕方なく、お父さんがうちを出て行ってK君の家に住むようになったんです。