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父親が理由もなくフジタさんを殴るようになって…

――そこからフジタさんは一人暮らしをするようになるんですか。

フジタ そうですね。お父さんはたまに帰ってきて、生活費として週に3万円を置いていくので、それで出前を取ったりして。途中からはコンビニのごはんになっていきましたけど。

――お父さんが帰ってこなくなった当時はどのような気持ちでしたか。

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フジタ 最初は悲しかったですね。母が亡くなった家に1人になって、不安だし心細かったです。

小学生時代から一人暮らしをしていたフジタさん(写真=本人提供)

――その気持ちはお父さんに伝えましたか。

フジタ 言えなかったですね。その時にはすでに「怖い父親」になってしまっていて、何かあったらすぐに僕を殴る、理由がなくても殴るようになって。特に、K君と僕が一緒にいるときに僕を殴るんです。後々聞くと、それはK君のお母さんに「自分の子どもよりも相手の子どもを大切にしている」と思わせることで、気に入られたかったらしいです。

「僕にとっては、ゲームが親みたいなもの」

――一人暮らしをするうえで、困ったことはありましたか。

フジタ 卒業式や何かの行事がある日にもお父さんは来てくれなかったので、そういう日に着ていくちゃんとした服がどこにあるのかがわからなくて。だから普段着で行っちゃって、すごく浮いていたと思います。

 あとは、中学生になってからは毎日お弁当が必要になったり、授業に必要な道具を用意したり、普通は親がやるようなことを自分でやるのが大変でしたね。

――当時、心の支えになっていたものは何かありますか。

フジタ ゲームばかりやっていましたね。もともと小学1年生のときにお父さんが買って来てくれて、最初は依存していなかったんですが、家に誰もいなくなってからはずっとゲームをしていました。

 僕にとっては、ゲームは親みたいなものです。一番親がいなきゃいけない、いて欲しかったときに、僕にはゲームしかなかったので。

 

――フジタさんが一人暮らしをしていることを、周りは知っていたのですか。

フジタ K君が学校で言うんですよ。「おめえんとこの父ちゃんがうちに毎日来てよー」とみんなに。だから学校の先生たちもみんな知っていたと思います。でも何か声をかけられるでもなく、どうにかしようとしてくれた人はいなかったです。

写真=杉山秀樹/文藝春秋