20代になってから、父親と絶縁状態になって…
――その後も、K君親子との家族の関係は続くんですか。
フジタ 中学くらいになるともう家族で集まることもなくなって、多分K君が嫌がるようになったんだと思いますけど、会うことはなくなっていきましたね。
僕は中学を卒業して、高校を1年生のときに辞めたあと、お笑い芸人を目指すようになったんです。それから20代になって実家から引っ越して、僕が一人暮らしをするようになってからは、父親ともほとんど絶縁状態になりました。
――連絡を取ることはあったんですか。
フジタ たまに連絡がくることはありました。「元気か」みたいな電話くらいですけど。ただ実家にはK君とその子ども、そしてK君の母親が居座っていたので、僕の入る隙はなかったし、あまり行きたくなかったので。
――お父さんとK君の母親は、結婚しなかったのですか。
フジタ 向こうは相続のことを考えて結婚してほしがってたみたいですけど、兄の大反対があったので、父は籍を入れなかったようです。兄は戸籍上、どうしても内縁の妻(K君の母親)の子どもになることは避けたかったようですし。
父親から「とにかく家に来てほしい」と連絡が…
――2人はずっと一緒に暮らしていたんでしょうか。
フジタ いや、何年か前に父親から連絡があって「とにかく家に来てほしい」と言われて行ったんですが、そのときには内縁の妻も、K君一家も家にいませんでした。
K君は結婚して子どももいるんですが、妻が精神的に不安定な人だったそうで、今はもう外に出られないような状態らしくて。だからK君の母親は、おそらく孫の面倒を見るために出て行ったんじゃないかと思います。
――その間も、お父さんは内縁の妻と関係が続いていたのでしょうか。
フジタ 父が認知症になるまでは、毎月お金を渡していたようです。月々10万円くらいですかね。月にどれだけ会うかにもよると思うんですけど、それくらいは。
父親が認知症になったことに最初に気付いたのは内縁の妻だったと思うんですけど、特に何もしなかったようですし、その月に父親名義での借金が100万円くらいになっていて。だからうまいことやっていたのかなって。
――それから内縁の妻は介護に関わったりしなかったのですか。
フジタ ノータッチです。父親が金を渡さないようになってからは疎遠になりました。30年以上も続いて、金を渡さなくなったら関係を切るというか、情が湧いてないのはすごいですよね。
写真=杉山秀樹/文藝春秋