――K君に注意すると、K君のお母さんに嫌われるかもしれないと思ったのかもしれませんね。
フジタ そうだと思います。せめて謝らせてくれたりすれば話は違ったと思うんですけど、僕がそんな目に遭っても注意すらできないのか、と。K君の母親もその事件は把握していましたが、何も言いませんでした。
K君の母親が作ったお弁当を食べられなかったワケ
――K君のお母さんとフジタさんの関係性はどうでしたか。
フジタ 2人きりのときに嫌なことをされたとかはなかったんですけど、中学に入学して、これまで給食だったのがお弁当に変わったんですね。そのタイミングで、僕のお弁当をK君の母親が作ることになって、それまでもらえていた食費や生活費を父親が渡してくれなくなったんです。
でも、僕はどうしてもK君の母親が作ってくれたお弁当を口にすることができなくて。
――それは精神的なものが原因で?
フジタ そうですね、初めて弁当箱を開けた瞬間に強烈な吐き気に襲われて、一口しか食べられませんでした。父親に文句を言ったり、弁当を残していることがバレると殴られるので、次の日から僕は毎日お弁当を捨てて、何も食べずに過ごしました。
そうすると父親は、毎日弁当箱を空にして帰ってくる僕を見て気を良くしたようで、今度は弁当以外の夕食なんかも、K君の母親が作った食事を持ってくるようになったんです。もちろんその夕食も食べられないから、昼も夜も食事をとらなくなって。
「栄養失調じゃないか」と心配されるほど痩せてしまった
――健康面に影響はなかったのですか。
フジタ みるみる痩せていきましたね。栄養失調だったのか、毎日熱っぽくて歩いているだけでも息切れがして、下痢が続くようになりました。同級生のお母さんから「栄養失調じゃないか」と心配されたり、食費分のお金を借りたりすることもありました。
それから数ヶ月経って、ようやく父親が異変に気付いて食費の支給が再開されるようになりました。
――当時、ご親族などで心配してくれる方はいましたか。
フジタ 父親のお姉さん、僕の伯母に当たる人はすごく良くしてくれて、父親に対して「家に帰れ」とずっと説得してくれていましたね。K君のお母さんのことを、本当にひどい人間だと言ってくれていましたし、味方でいてくれました。
ただ、伯母が父親のことで泣いているのを結構見たことがあったので、父親のことが怖かったんだと思います。だからあまり強くは言えない、という事情はあったのかもしれません。