どんな道を通ったのだろう。珠洲市の海岸は津波に呑まれて大惨事になっていた。山の崩落で通れなくなった道もある。軒並み家が潰れた地区では道路にまで家が倒壊していた。道路自体も陥没や亀裂、アスファルトの迫り上がりなどが続き、安心して通れる状態ではなかった。そもそも半島の先端から金沢までは約150kmも離れている。東京に当てはめれば、都庁から茨城県の日立市役所や栃木県の日光東照宮までの距離だ。
困ったのは外国からの客だった。車がなくて、身動きが取れない。その時、刀禰さんの妻が「ヘリコプターを要請してみたら」と言い出した。宿ではヘリコプター周遊コースの開設準備を進めていて、ヘリポートの整備も終えていた。運航会社に連絡を取ると、1機派遣してくれた。外国人観光客が全員脱出するまでに3往復してもらった。
前回の修繕工事が終わらないうちにやってきた、激しい地震
その後は長期休業を強いられた。
建物の被害は少ない。電気が通れば、自前の水源から水をくみ上げられる。だが、合併浄化槽が壊れて流せなかった。修理しようにも、業者がいない。奥能登の被害はあまりに酷く、業者の手が回らないのだ。
これは今回の地震だけが原因ではない。以前の地震も関係している。
奥能登では2020年12月から群発地震が発生し、中でも2023年5月5日の被害が大きかった。震源は珠洲市沖で、最大震度6強を計測。市内では1656軒の住家が損壊して、うち38棟は全壊だった。
「地元の業者は大忙しでした。なのに、前回の修繕工事が終わらないうちに、もっと激しい地震が起きてしまったのです。もはや修繕工事は順番がいつになるか分からない状態で、私も見積もりさえ取れていません」と、刀禰さんが説明する。
大半を解雇することになった若い社員たち
被害は今回の方が格段に深刻だ。石川県のまとめでは(2024年9月5日時点)、珠洲市の住家は5532棟が損壊し、うち1736棟が全壊だった。損壊棟数は昨年5月5日の3.3 倍、全壊棟数に至っては45.7倍というすさまじさだ。「少なくとも9000棟以上の解体が必要になっています」と刀禰さんは話す。
「ランプの宿」には社員が67人いた。20代や30代が多く、最高齢は50代半ばの刀禰さんの妻という若さだった。
しかし、雇用し続けるのは難しかった。多額の借金を抱えているのに、営業できない。結局、大半を解雇することになり、残せたのはたったの3人だった。
宿はどうなるのか。灯火は消えてしまうのか。