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出かけようとすると「ちょっと待て」と誰かの声が聞こえた

 刀禰さんは元日の午後4時頃、4kmほど離れた須須(すず)神社に家族全員で初詣するのを年頭のならいにしていた。あの日、2024年1月1日もそうだった。

「出発がいつもより遅れていました。『早く行こうよ』と言おうとすると、その寸前に『ちょっと待て』という声が聞こえました。出端をくじかれたような気がして言葉を呑み込みました。また言おうとしたら、『ちょっと待て』。なかなか家族の準備ができないから、最後は腹立ち紛れに『早く行こう』と言いかけると、今度ははっきりと聞こえる声で『ちょっと待て』と言われました。誰の声だったのか、今もよく分からないのですが、とにかく車で出るのが遅れました」

刀禰秀一さんが家族で初詣に向かった須須神社。海際にある駐車場も津波に呑まれた ©︎葉上太郎

 道路は岬から山側に向かい、クネクネとしたアップダウンが続く。もう少しで漁港のある海岸沿いに下りようという時、激しい揺れに襲われた。「あと100mほどで海岸でした。もし早く出発していたら、家族もろとも津波に呑まれて命はなかったでしょう」と胸を撫で下ろす。

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「ランプの宿」の被害が少なかった驚きの理由

 正月とあって、宿は満室だった。「お客様は無事だろうか」。急いで引き返したが、崩落や亀裂が発生していて、もとの道路ではなかった。

 高台にある宿の駐車場からは海が見える。潮が引き、海底がむき出しになっていた。「これほどの引き潮なら、大津波が来る」と緊張したが、後に海底が隆起したせいだったと分かる。

隆起した獅子岩(刀禰秀一さん撮影)

 それでも珠洲市の海岸には4mとも5mとも言われる津波が押し寄せ、漁港や家々を呑み込んだ。隆起していなければ、被害はもっと拡大しただろう。

 一方、「ランプの宿」の被害はあまりなかった。

 まず揺れ。珠洲市では震度6強を計測したが、金剛崎の岩盤は硬かった。建物も基礎部分の鉄筋を増やし、コンクリートを厚くしていたのがプラスに働いたと見られる。

「本当は地震対策というよりも、崖のそばにある建物が崩れたらいけないと思って強化していたのです」と、刀禰さんは明かす。

 さらに津波。海際の客室は海抜3mだったにもかかわらず、津波に呑まれなかった。なぜなのか。

 実は、想像もつかないことが起きていた。

 宿から2km弱の沖合に姫島と呼ばれる岩礁がある。「長さが約500mあるのですが、これが隆起して防潮堤の役割を果たしたのです」。刀禰さんは今も驚きを隠せない。

外国人観光客はヘリで脱出

 その夜は引っ切りなしに余震が起きた。もっと大きな地震や津波が発生しないとも限らなかった。このため、宿泊客には無傷に近かった高台の売店に移ってもらった。乗ってきた車で過ごす人も多かった。

売店と展望台。日本海が一望できる ©︎葉上太郎

 辺りは停電で真っ暗になる。

 水は自前の水源からポンプアップしていたので、タンクに貯まっていた分は使えた。だが、電気がなければ補給できず、尽きてしまうのは時間の問題だった。

 夜が明けると、宿泊客は次々と車で帰って行った。