10メートル歩くだけで息切れするほど体力が落ちて…
――がんの発覚後、入院前の最後の仕事はファンとツーショット撮影する2022年9月の「チェキ会」だったそうですね。
菅原 メンバーからもファンのみなさんからも、ありがたい言葉をたくさんいただきました。翌日に新潟へ帰るとき、メンバーやマネージャーさんが「頑張ってね」と描かれたボードを掲げながら、新幹線のホームで見送ってくれたんです。
――強い絆を感じます。帰郷後の入院生活は、振り返ってみていかがでしょう?
菅原 4ヶ月ほど入院して、2種類の抗がん剤を投与するAI療法で治療していました。
5日間投与を続けると吐き気やめまい、味覚障害を自覚しはじめて、副作用では熱も出るし、白血球の数値も急降下するので、感染症を防ぐための注射も毎日打っていたんです。体力が落ちて、10メートル歩くだけで息切れするほどでしたし、常に点滴を打ちながらの生活は大変でした。
ファンに励まされながらの入院生活
――じわじわと副作用が現れて、今日できたことが明日できない……といった不安もありそうです。
菅原 怖かったです。励みになったのは、ファンのみなさんとの交流でした。事務所のはからいで週2~3回、オンラインでのお話し会を開いていたんです。コロナ禍で面会禁止でしたし、家族とも会えないまま「自分はなんて価値のない人間なんだ」とふさぎこみそうになりながらも、励ましの言葉をたくさんいただいて。「明日はファンのみなさんと話せる」と思って、モチベーションを上げていました。
――ファンに励まされながらの入院生活では、左足の太ももにある筋肉を20センチ以上も切除する手術にも臨んだと。
菅原 入院から2ヶ月ほど、経ってからでした。病院では当初「抗がん剤を投与せずに手術するか、腫瘍を縮めるために抗がん剤を投与するか」の2択を提示されて、後者を選んでいたんです。でも、腫瘍は縮まらず、手術するしかなくなって、正直、私の頑張りは「何だったの!?」と思いました(苦笑)。
いざ手術するとなったら、前日の夕飯を食べられなかったし、当日の朝6時ごろからはお水も飲めなくなって。9時ごろからはじまった手術では、手術台から見えたライトの光がまぶしく、緊張から心拍数が急上昇して測定器が「ピコンピコン」と鳴っていたのを鮮明に覚えています。全身麻酔が効きはじめて、再び意識が戻った18時ごろには病室の窓から見える景色が夜になっていました。