まさか、と思った。
しかし、この二文字は消えることなく、日に日に私の心の中で大きく膨らんでいった。
それまで、日本人の3組に1組が離婚する時代だと知りつつ、自分自身には関係のない話だと決め込んでいた。夫婦円満にやっていけるだけの甲斐性があると、うぬぼれていたと言ってもいい。
浮かんだのは、結婚前、両親が妻のことを「お寺の奥さんには向かない」と厳しく言い放ったことだった。私は両親の言葉を受け流したが、心を鬼にして忠告をしていたのだろう。「妻の個性を尊重するなんて浅はかだ」「徹底的にお寺色に染めなければ後悔する」と伝えたかったのだろう。しかし、今となってはもはやどうしようもなかった。妻とお寺で暮らす日々は空回りするばかりだった。
離婚の恐怖
だが、いくら離婚が珍しくない時代でも、お寺の住職は世間一般の夫婦のように人知れず離婚することができない。なぜなら、住職の日常生活は、昔ながらのムラ社会のごとく、日々お寺にお参りにやってくるあらゆる檀家さんにさらされているからである。離婚したなら、檀家さんの格好のゴシップネタになる。
住職はバツイチ――。
冷ややかに陰で笑われながら生きていく未来を想像すると、私は不安にかられた。
法事や葬式で一生懸命に読経をしていても、後ろに参列する檀家さんは住職の私生活が気になって、儀式に集中できないのではないか。法話で正しく生きる道をいくら神妙に語っても、夫婦円満に生きられないお坊さんの言葉など、まるで響かないのではないか……。