2014年、妻との離婚危機に直面した、浄土宗・龍岸寺住職の池口龍法さん。なぜ住職の離婚は一般の人に比べて深刻なのか? そして池口さんが恐れた「本業への悪影響」とは…? シンパパ住職の奮闘記を綴った新刊『住職はシングルファザー』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

池口龍法さんが住職を務める龍岸寺(写真提供:龍岸寺)

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住職はバツイチ

「フリースタイルな僧侶たち」の活動拠点を京都に構えていたことや、奉職していた知恩院も京都にあることから、尼崎の実家を離れ、2014年の夏に母方の実家で京都にある龍岸寺の住職となった。同時に、お寺への引っ越しも済ませた。

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 私は生まれてからずっとお寺に縁のある暮らしだったから、お寺の日常に慣れている。法要の時に檀家さんがキッチンまで入ってきてお茶出しの接待を手伝うような、プライバシーのない生活も平気だし、サラリーマンのように決まった休みがとれず年中無休で生きるのも当たり前。ご年配の檀家さんのおせっかいをさらっと流しながら生きていくすべも、もう板についている。

 しかし、妻は違った。結婚前は、自分自身のプライベートな時間をひたすら趣味に費やし、感性のおもむくままに自由奔放に生きてきた。結婚後も、私は妻の生き方を尊重して、あえてお寺の旧習を教えずに暮らしてきた。それなのに、よりにもよって伝統と格式を重んじる、京都のお寺に住むことになった。妻は、私とならなんとかやっていけると強がってついてきてくれたが、実際はかなり怯えていたのではないか。

 お墓参りに来た檀家さんからは、「外車、乗ったはるんですね」と言われる。悪気があるのかないのかわからないが、内心穏やかではなかったに違いない。

 キッチンで調理している匂いが境内に抜けるから、息抜きの料理にも専念できない。クリスマスに子供のためにチキンを焼く時も、どこか居心地が悪そうだった。

 せめて仏前に供えるお膳のメニューで持ち味を発揮しようと気を利かせ、パプリカを使って「彩りが綺麗でしょう」と周りにアピールしてみたら、「和食だからししとうにしてね」とバッサリ切り捨てられた。私なら、「たまには洋風でもええやん」と口答えできるが、にわかにお寺文化に触れたばかりの妻には、素直に従うしか選択肢がなかった。

 自由に羽ばたくための羽根が、一枚ずつもがれていった。いつしか飛べなくなり、愚痴ばかりが口をつくようになった。そして、そのはけ口はすべて私だった。

「あなた以外に誰が聞いてくれるの?」

 妻の願いに、私はできるかぎり応えようとした。でも、毎日のように愚痴を聞いていると、私も少しずつすり減ってきた。丸太にでもなったように心を閉ざしてしまった。それは同時に、妻への愛に蓋をした瞬間でもあった。家庭のなかからぬくもりが失われていった。

 離婚――。

 ある日、ふと脳裏にこの二文字がよぎった。