シングルファザーになる前、元妻から「お寺が大事なの? 家庭が壊れてもいいの?」と何度も突きつけられたのが、浄土宗・龍岸寺住職の池口龍法さん。寺をとるか、家庭をとるか…この難題に彼が選んだ選択とは? 新刊『住職はシングルファザー』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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家庭をとるか、お寺をとるか――
離婚を回避するために、別の選択肢をとることもできた。
たとえば、家庭生活を優先して、近くのマンションに住んでそこからお寺に通う。そうすれば、妻のプライベートを守ってストレスを和らげることもできただろう。
それでもうまくいかないなら、私が住職を辞めてお寺を出ていく。あまりに家庭事情を優先し、お寺を軽視した選択肢だと思われるかもしれないが、実際、奥さんがお寺に馴染めないために、お寺から出てしまった夫婦の例はいくらもある。事実、私も、「お寺が大事なの? 家庭が壊れてもいいの?」と何度も突き付けられたことがあった。
家庭生活をとるか、お寺をとるか――。
いわば、プライベートを優先してお寺を閉ざすのか、開かれた公器としてのお寺を目指すのか。
私が選んだのは、後者だった。
結婚以来、二人三脚でやってきた妻を裏切ることは辛かったが、お寺の公益性をとることを私は優先した。「フリースタイルな僧侶たち」という仏教改革のムーブメントを起こして数年、いつしか私は若手僧侶の旗手として注目を浴び、期待を背負うようになっていた。これからの時代のお寺をともに創ろうとする野心的な仲間たちも集まり始めていた。今私がプライベートに固執したら、離婚は免れるかもしれないが、この国の仏教の歩みが停滞するという自負もあった。
お坊さん、離婚する
やむをえない――。
決意した私は、妻の不満を顧みることなく、どんどん斬新な取り組みを進めていった。そのひとつが、学生の街・京都ならではの特性を生かし、いくつもの大学とコラボして毎秋企画したお寺アートフェス。2016年には、学生からの発案でアイドルプロデュースをするようになった。お寺に活気が漲ってきたが、妻との関係は冷え切っていった。
しわ寄せをくらったのは、小学校に入って間もない長女。家庭内不和のために、落ち着いて宿題ができず、生活のリズムが崩れて寝る時間も起きる時間もばらばらで、学校に行く気力が失せるという負のスパイラル。次第に不登校に陥った。早く離婚を成立させることこそ、この子のために自分ができる唯一のことだと思った。
協議の末に、2017年の暮れに離婚が成立。37歳の時だった。