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 現場でも立浪監督の求心力低下を招きかねない出来事だったが、ラストシーズンの後半戦を前に呼び戻したことになる。降格から1年も経っておらず、しかもシーズン途中。異例の措置だった。

「この時、立浪監督は落合コーチに対し『また一緒にやろう』と伝えたようです。意見が合わなかった大塚晶文投手コーチをブルペン担当にして遠ざける意味合いもあったのだろうとは思いますが、それ以上に落合コーチを2軍に行かせた罪の意識が消えていなかったのでしょう。最後は元の形に戻して、これで浮上できなければ身を引くしかないと覚悟が固まっていたと思います」(古参のチーム関係者)

 落合コーチも立浪監督の思いをすぐに察したようだ。1軍復帰の際、「立浪監督が辞めるならば一緒に責任を取る」と周囲に漏らしている。

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批判を受けても手を打つ姿からは非情ささえ感じさせたが、最後に…

 立浪監督は退任を決断した時期を問われると、こう答えた。

「決断というか、オールスター明けに何とかまだ借金8の段階で、諦めずにまだまだチャンスあると思ってやってはきたんですけど、ずっと同じような形で負けている試合が多いので」

 明確な答えを避けた形にはなったが、真っ先に「オールスター明け」との言葉が出たところに、この時期に進退についてじっくり考えたことがうかがえた。

 チーム編成権にも大きく関与してきた立浪監督は、自身の野球観に合わなかった京田陽太内野手(現DeNA)をトレードで放出するなど、時に強権的な手法を採ってきた。批判を受けても次々と手を打つ姿からは非情ささえ感じる。

 しかし、さまざまな事情が絡んでいたとはいえ、盟友・落合コーチとともに監督生活を終えることを選択した。立浪監督が最後に見せた人情味でなかったか。