現代において、一生を添い遂げる相手は選択可能だ。 力関係が対等に見えるカップルも増えたが……。 「パートナー」という言葉に象徴される、 現代のカップルの難しさとは。
カウンセラーの信田さよ子さんの寄稿の一部を『週刊文春WOMAN2024秋号』より抜粋・編集し、掲載する。
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「パートナー」という呼び方
カウンセラーになってそろそろ50年になる。昭和から平成、そして令和へとカウンセリングをめぐる風景もいろいろ変わってきた。
たとえば配偶者の呼び方だ。1970年代半ば、精神科病院で心理職に就いていたが、入院中のアルコール依存症の男性たちは、妻のことを「あいつ」「女房」「かあちゃん」などと呼んだ。彼らの妻たちは夫のことをたいてい「主人」と呼んだが、「旦那」と呼ぶ人も少なくなかった。
それから歳月が流れたが、今では40代以下の女性たちは、夫のことを「つれあい」「夫」と呼ぶ率が高い。50歳以上は圧倒的に「主人」が多く、世代間の格差を感じる。
カウンセラーが来談者の配偶者のことをどう呼ぶかもマチマチだ。私の世代だとご主人がメインだが、「主人」に抵抗を示す来談者も多い。一般的には「おつれあい」「だんなさん」と呼ぶことが多く、増えてきたのが「おっとさん(夫さん)」という言葉だ。なんだかオットセイみたいだと思うが、若いカウンセラーのあいだで普及しているようだ。
近年広がっている呼び方が「パートナー」である。ジェンダー的にも幅広い用い方ができるし、事実婚でもOKだからだ。カウンセリング場面では、相手の状況によっては私もパートナーという言葉を使うようにしている。
今回は、このパートナーについてさまざまな方向から考えてみたい。
親子とパートナーのちがいは「選択可能かどうか」
親子関係とパートナー関係との違いは、選択可能かどうかという点だ。
親は自分の子どもを選択したわけではない。男女の産み分けも事実上不可能だし、まして子どもの身長や顔や個性などは選べない。産科の待合室には「子どもは親を選んで生まれてくる」という本が置いてあると聞いたことがあるが、そう信じなければあの出産の苦しみを耐えられないからだろう。
実際は子どもは自分の意思で生まれたわけでなく、まして親を選ぶことはできない。それは人生最大の不条理ではないか。