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そんな中、吉田被告に大きな影響を与える出来事が起きる。事件2カ月前の2023年10月、吉田被告が頼りにしていた甥が急逝したのだ。甥は吉田被告より11歳下で、70年以上の付き合いがある。幼少期には吉田被告が甥の子守をすることもあり、大人になってからは同じ町内に住み、話が合う存在だった。甥の死に、吉田被告は大きなショックを受けた。眠れないことが増え、食も細くなり体重は最大15キロも減った。

同居する子どもらも吉田被告の異変を感じていた。証人尋問で長男は「おかしなことを言っていることがありました。『首を絞めて殺される』などと言うこともあった。目の焦点が合っておらず、うつろな目をしていました」と話した。

初公判の吉田被告

吉田被告は、甥の死で“死”をより身近に感じるようになったという。

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吉田被告:
健康だと自分では思っているけど急に(亡くなる)、ということもあると思うようになった。

この頃から吉田被告は、眠れない夜にインターネットで「老人ホーム」「終活」「親の介護」などと検索するようになった。長男には「家を売って老人ホームに入りたい」などと相談するようにもなった。長男は「すぐにはできない」と答えたものの、翌年3月には自分が退職して両親の面倒を見ると伝えていたという。

引き金は昼食巡る口論 積もった怒りが頂点に 

そして2023年12月14日。事件の引き金はやはりいつもと同じ“口論”だった。午後1時ごろ、吉田被告が京子さんに「早く昼食を食べた方がいいんじゃないか」と声をかけた。これに京子さんは「(昼食を食べるのには)まだ早いんだ」と反論しながらも玄関方向にある台所へ向かって行ったという。

吉田被告は、その後のやりとりの詳細は思い出せないというが、検察は冒頭陳述で、吉田被告はこの時、積もった怒りが頂点に達し、京子さんの殺害を決意したと主張している。京子さんと玄関付近で向かい合う形になった吉田被告は、両肩を押してトイレのドアの前に押し込めた後、倒れ込んだ京子さんの首を両手で絞め続けた。京子さんは「やめて」などと抵抗したがそのうち動かなくなり、吉田被告は手を離した。