『越境』(砂川文次 著)文藝春秋

 20XX年X月、ロシア海軍のロプーチャ級戦車揚陸艦は、北海道の釧路沖に集結し、上陸作戦を開始した。これに対し、陸上自衛隊は釧路駐屯地のある別保を防御陣地として、第27戦闘団を中心に迎撃の態勢を整えようとした。

 芥川賞候補作『小隊』は、釧路での上陸戦(ロシア側)、阻止戦(日本側)を戦うために、釧路市民たちを安全な地に避難させようとする「安達」3尉が主人公である。T-90(戦車)、BMP-2(歩兵戦闘車)を先頭にロシア軍は、陸上自衛隊の防衛壕を強襲する。迎え撃つ自衛隊は、空自の援軍もなく、実戦の経験もない自衛隊員たちは、次々と戦死し、負傷し、廃兵となってしまった。その“第二次日ロ戦争”の後日譚が、砂川文次の新作長篇『越境』である。

『小隊』から約10年が経過している。今度の主人公は「入木(イリキ)」2尉。ロシア軍の釧路上陸によって“日ロ”の“事案”が発生して以来、釧路と音威子府(おといねっぷ)での戦闘で日本は大敗し、道北と道東はロシア軍の占領地となっていた。

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 しかし、ロシア本国の内紛で、北海道侵攻軍は反対勢力の烙印を押され、侵攻軍司令官は独立にも等しい「難民宣言」を出し、「脱ロシア」を呼びかけた。

「これをきっかけに、侵攻軍に次いで、非武装の侵攻軍の親類、少数民族、ロシア反政府分子といったものが空路海路で大挙して渡ってきた」のである。もちろん、原住民としての日本人が「難民」としてこの地に残されたことはいうまでもない。また、旭川を駐屯地とする陸自第2師団は、侵攻軍をも含む難民を旭川市と共に引き受け、旭川は日本政府からの掣肘(せいちゅう)を受けることのない群雄割拠の“無法地帯”と化したのである。

 イリキ2尉は、輸送ヘリコプター、CH-47で、旧釧路空港への救援物資の投下のミッションに従事していた。しかし、反乱軍によって発射されたミサイルがヘリに命中し、彼はダム湖に不時着して、かろうじて生き残るが、自衛隊からのはぐれ者の山縣、サハ共和国出身のロシア娘のアンナなどといっしょに、ロシアの反乱軍、ヤクザとマフィア、警備隊などの「敵」たちの陣営を通過して、釧路から十勝平野、そして旭川から滝川へと向かうのである。

 興味深いのは、イリキ2尉は、アダチ3佐(3尉から昇級したのだろうか)と較べても軍人らしくないことだ。彼は「敵」を狙撃したことをくよくよと悔やみ、悲惨で残虐な殺害シーンを体験した後も、極めて内省的である。戦闘場面が迫真的で、リアルであればあるほど、イリキ2尉の弱兵ぶりは際立つのである。

 つまり、まったく軍人や兵士に向かない男を、“日本軍”は募兵しなければならなかったのである。戦争に向かなかった男たちの戦記。兵士になりそこねた弱兵の戦争物語。これほど、日本の“軍隊”(自衛隊)の本質を露呈した「自衛隊文学」はない。

すなかわぶんじ/1990年、大阪府生まれ。大学卒業後、陸上自衛隊に幹部候補生として入隊。2016年、「市街戦」で第121回文學界新人賞を受賞しデビュー。19年に「戦場のレビヤタン」、21年に「小隊」が芥川賞候補に。22年に「ブラックボックス」で第166回芥川賞受賞。
 

かわむらみなと/1951年、北海道生まれ。文芸評論家、法政大学名誉教授。『戦後文学を問う』など著書多数。最新刊に『熊神』。