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モノとしてのはかなさや、花鳥風月のモチーフはどこから来たのか

 日本美術のハイライトを浴びるように観ていくと、歴史を貫く特性もはっきり立ち現れてくる。

 ひとつには、モノとしてあまりに脆く、それが作品を繊細な表現に見せていること。日本の美術品は絵画なら和紙の上に描かれ、彫像は木製であることが多い。ゆえにすこしでも気を抜けば、そのうち自然に還ってしまいそう。作品の内容以前にモノのあり方として、はかなさを表していると感じられる。

 

 モチーフにも、かなりの偏りが見られる。いつの時代も同じものを繰り返し描き続けているのだ。では何を描いてきたのかといえば、花鳥風月である。

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 日本において描くことは、精神的な修養でもあった。観る側は絵に向き合う作者の精神性の高さを、想像し味わうという暗黙の了解がある。作者それぞれの精神性を吟味するなら、描かれるモチーフは統一されていたほうが比較しやすくて都合がいいだろう。

 そうなると、モチーフは稀有壮大なものである必要もとくにない。そこでごく身近な花鳥風月が題材に選ばれる。だれもが日ごろ親しく接するものを描くことが、どうしても多くなる。しかもそれらの描写は、現在の目から見て科学的に正しい像ではなかったりする。まるで写実に徹していないことが多い。

 

 日本の美術家たちが技量に欠けているということでは決してない。外界を観察して、そこにあるものをそっくり写し取ることに、彼らは意義を認めていなかっただけだ。作品をつくるとは、まずは伝承するものであって、モチーフも含めて受け継がれてきたものを忠実に再現することのほうに重きを置いたのである。

 また、作品は精神性を表すものなのだから、実物の正確な写しよりも、モノに宿る観念をかたちにせんと心血を注いできたわけだ。長年にわたるそうした探究の末に、日本には独自の美術表現が生まれることとなった。その成果の最良の部分を、会場でとくと楽しみたい。