昨年開かれた第70回カンヌ国際映画祭で、最高賞にあたるパルムドールを受賞したのは『ザ・スクエア 思いやりの聖域』。気鋭のスウェーデン人監督リューベン・オストルンドが、アート界を舞台に「人間らしさとは何か」を鋭く問う作品の日本公開が始まった。
弱さ、惑い、ジレンマをたっぷり抱え込んだ主人公像
主人公クリスティアンは有名美術館のキュレーターで、なかなかのやり手として業界内外で名を馳せている。彼が自信を持って打ち出した新たな展示は、「ザ・スクエア」なる作品だった。
地面に正方形が描かれ、その内側はすべての人が公平に扱われる「思いやりの聖域」と規定する参加型アートである。現代社会にはびこる差別や格差、エゴイズムを考え直す機運になるはずとクリスティアンは意気込むが、少々過激な宣伝手法をとったことが、思わぬ反響と騒動を惹き起こしてしまう。
クリスティアンは同時期、個人的なピンチも抱え込む。人助けしようとしたのに、騙されて財布と携帯を盗まれた。取り戻すために過剰な行動をとってしまって、手痛いしっぺ返しを食らったのだった。
エリート然としたクリスティアンの人としての弱さ、惑い、ジレンマが、たっぷりと描かれていく。クリスティアンの身には続々と問題が降りかかるが、それぞれの解決や結末は作中で描かれず、そこが異様なリアルさを醸し出す。
思えば私たちの日常だってそんなものではないか。問題は山積みになっていくけれど、物語のようにそのつどズバズバと話が片付いていくわけなどないのだ。
かなり大胆なつくりではないか
観終えてさっぱりした気分になれる映画とは、明らかに違う。考えるタネが次々と投げかけられ、観る側は鑑賞中もその後も、そのタネを胸中に抱え続けることとなる。作中の問いかけがいつまでも脳裏を離れぬ、珍しいタイプの作品である。
そのあたりを、つくり手はどう考えていたのか。意図的にそうつくり込んだ結果なのか。作品公開に合わせて来日したリューベン・オストルンド監督に話を聞けた。
問いばかりを投げかけ、結末を示さず、あからさまなカタルシスをもたらさない。そんな映画のつくりはかなり大胆ではないか。観る側が考えるのをやめてしまえば、作品として成り立たない恐れだってありそうなのに。