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 二〇二一年に刊行された『ミカエルの鼓動』(第一六六回直木賞候補)は初めての医療もので、彼女の十八作目にあたる。彼女の作品には常に、人間はこうあるべきだ、という理想像が描かれているのだが、本作には天才と呼ばれる二人の心臓外科医を配した。

 一人は北海道の大学病院で手術支援ロボットを駆使した難手術を成功させ続ける循環器第二外科科長(教授)の西條泰己、もう一人は同じ四十代で、ドイツ帰りの開胸式手術のプロフェッショナルである第一外科科長(特任教授)の真木一義、ライバル同士である。柚月は、強靱な精神力を持つ二人の医師が切り開く医療に未来を託し、そこに希望を見出している。

 その試みは成功したのだろうか。

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現役医師が感じた、小説の主人公たちの「もがき」と「苦闘」

 はっきりしていることは、本書を開いた高名な大学教授が、取り憑かれたように一晩で四百六十七ページを読み切り、翌朝、「この本に出会えてよかった。これは現実の医療世界にめちゃめちゃ近いですよ」と私に伝えてきたことだ。

難病の少年の治療法めぐって対立する西條(右)と真木/画・日置由美子

 教授は「ハイブリッドVATS(Video-Assisted Thoracic Surgery)」と呼ばれる、患者に優しい(低侵襲)肺がん内視鏡手術の開発者として、世界的に知られる呼吸器外科医である。

 私はテレビや雑誌に登場するこのスーパードクターから「小説の絵空事ですね」と鼻で笑われるのだろう、と思っていたのだ。ところが、その教授から「手段は違うけど、小説の二人の医師と私たちは目指すところが一緒だと思う。感動しましたよ」という言葉を聞いて、本当にびっくりした。

 そして教授は、「医師の五%程度に過ぎないが、西條や真木のような改革者は確かにいて、そのもがきと苦闘の先に医療の未来がある」という。

 赤ひげの時代から医学は進歩し、多くの場合、過去のデータから作られたエビデンスにもとづいて医師は診療を行っている。エビデンスとは医療用語で、多くの患者に実際に使って試し、「効果あり」と判断された科学的証拠のある薬や治療方法、検査方法などを指している。

 医師はそのエビデンスに忠実であれば安心で安全なことが多い。だが、エビデンスに忠実であるがゆえに、「治療は難しい」「助からない」と門前払いされる患者がいることも事実だ。