ベストセラー作家、柚月裕子さんによる初めて医療小説『ミカエルの鼓動』が文庫化された。
大学病院の闇を背景に、心臓外科医たちの正義がぶつかるミステリーであり、人間ドラマである今作の解説をノンフィクション作家・清武英利さんが綴っている。
清武さんは、小説『ミカエルの鼓動』で描かれた医師の人物造形について、世界屈指のスーパードクターに取材。実在の天才外科医から、予想外の感想が届いたという。
医術は、病に苦しむ人を救えるのか――
山本周五郎の名作『赤ひげ診療譚』に、江戸・小石川養生所の“赤ひげ”こと、医長・新出去定が医師の無力と悲しみを表白するシーンがある。
彼は死にかかった病人が膵臓に初発した癌腫であることを見抜き、若き医生にこう漏らす。
「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ」
私事で恐縮だが、私は肉親や友人が病に倒れるたびに、医業は無力だという現実に直面し、赤ひげの言葉を反芻しながら生きてきた。
昨年、九州に住む十三歳年下の末弟が肺ガンに新型コロナ、そして原因不明の失明という三重苦の末に死んだときも、また私自身が医師に「あなたの病気は原因がわからない」と実に淡々と告げられたときも、重心の低いところに諦観を据えることで精神のバランスを図ってきた。
――医師というものは患者の生命力に頼って、手探りをしているだけだ。医術にはそれ以上の能力はありゃあしない。
しかし、柚月裕子は、そうは考えない。曾祖父を三陸大津波で亡くし、両親を東日本大震災の大津波で失った彼女は、目に見えるものも、目に見えないものも容赦なく奪われた末に、自分に言い聞かせるように書いている。