バスケを始めたら「頑張ってるじゃん」みたいな反応に変わった
――相手から謝罪などがあった?
副島 ないですね。当人たちは覚えてないんですよ。僕が昔の体験を語っているのをメディアで見て、「これ、誰のこと言ってるの?」みたいな。「いや、お前だよ」みたいな。
――末代まで呪うみたいな気持ちになりそうですけど、そういう気持ちはなかった?
副島 中学生になってバスケを始めたら、いじめてたやつらも「副島、頑張ってるじゃん」みたいな反応に変わっていって。小学校からメンツもほとんど変わってないんですけど、どんどん交流できるようになって。
その時、きれいごとに聞こえるかもですけど、「やっと仲良くなれた」っていう気持ちが一番だったんですよね。スタートはその子たちと仲良くなりたかったので。でも、一方で、死んでそいつらを傷つけてやりたいって気持ちもすごく分かるんですよ。
――実際、自殺を考えたこともあったわけですよね。
いじめに関する啓蒙活動も
副島 自殺はよくないことだし、死ぬことだけはしないでくれ、というのは講演とかでもずっと言ってるんですけど、自分が死ぬことで少しでもそいつらの記憶に刻みたい、という気持ちも本当によくわかるんです。
ただ、結局自殺しても、そいつらは忘れると思うんです。いじめた方は自分の人生の中の1分1秒でしかないけど、いじめに遭った方は一生忘れない。そのギャップが、いじめに対する意識の差に現れている気がしています。
――副島さんは、いじめに関する啓蒙活動も精力的にされています。
副島 当時の自分が講演会に来ていたら正直、反感しかないと思うんですよ。「お前なんか、たまたまテレビに出て活躍してるからそういうこと言えるんだ」って絶対思うだろうなって。
でも、全然自分の話ってサクセスストーリーだとは思ってなくて。毅然と相手に立ち向かう勇気もなく、ただただ怖くて逃げ回ってただけだし。
バスケを始めたのだって、「恵まれた身体能力があって始めたんですよね」と言われることもあるんですけど、サッカー部はいじめっ子がいたし、野球部は先輩がヤンキーで。そんな中で、バスケ部だけは他の小学校からの部員が多かったし、先輩も優しかったから、「これはいい抜け道だ」ってだけで入部して。
で、その逃げた先のバスケが、芸能界の道にもつながっていたんです。
写真= 杉山秀樹/文藝春秋