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――そのフィーリングが結果的に大谷さんを正しい道に誘ってくれたと思えますか。

「エンゼルスはエンゼルスで、もちろんよかったと思っています。6年間のエンゼルスの環境は素晴らしかったし、あのときの選択は間違いではなかったと言い切れます。あちこちケガをしたせいで試合に出られない期間もあったので、そこは貢献できなくて申し訳なかったと思っています。

 ただ、自分にとってもチームにとっても、2つをやりたい方向へ順調に進んでこられたのは、エンゼルスという球団の持っている色が強く影響していたからだと思います」

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僕の中でエンゼルスでの大事な6年間を忘れることはない

――エンゼルスの色、というのは?

「チームの色、ファンの人の色……ファンの人は本当にやさしくて、野球への熱もありながら過激すぎることもなく、温かみがありました。選手もフロントの人たちも、みんながそうでした。そのおかげで僕はストレスフリーに野球ができたと思うんです。

 今なら、結果が出ずに何か言われたとしてもそれは慣れた環境の中で結果を出せない自分の実力のせいだと受け止められますけど、メジャー1年目のスプリングトレーニングでまったくダメだったとき、いろいろな人がいろんなことを言う中で、フロントの人、選手、ファンの人たちが本当に温かくて、『まだまだ開幕してないんだから』というスタンスを貫いてくれました。

 あの温かさに助けられたから、その後の成長曲線を右肩上がりの放物線で描くことができたんだと感謝しています。僕の中でエンゼルスでの大事な6年間を忘れることはないし、いい思い出はたくさんあります」

©文藝春秋

「死ぬ間際にならないとわからないんじゃないかな」

――誰も歩んだことのない投打の2つをやるという礎を、結果的にはファイターズでもエンゼルスでも築き上げることができました。大谷さんの言うフィーリングって、どういうものだったと思っていますか。

「FAの交渉のとき、話をさせてもらった球団のオーナーの人たち、フロントの人たち、代理人のスタッフ、みんなが『結局、どこへ行っても正解だと思う』と言ってくれたんです。野球に携わっているひとりとして、そういう素晴らしい人たちが他球団のオーナーであり、フロントであることは、誇らしい気持ちになりました。

 つまり人生には枝みたいな選択肢がいっぱい広がっていて、その都度、自分で選んできたんですが、もしかしたらどっちを選んでも結果的に行き着く先が一緒だったという場合もあると思うんです。何が正解だったのか、何が失敗だったのかは、死ぬ間際にならないとわからないんじゃないかな。その瞬間、よかったなと思えれば全部がよかったし、ダメだったなと思うようならどう転んでもダメだっただろうし……」