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大谷にとって、ドジャースはどういう存在だったのか?

――12年前、花巻東からドジャースに行くことを決めていれば、ピッチャーとして、そのマイナーからのスタートになったと思います。7年前、ファイターズからエンゼルスを選んだときもドジャースは熱心に誘っていたと聞きますが、ナ・リーグにDHがなかったので投打の2つは今の形と違っていたでしょう。となると、ずっと縁があるように見えるドジャースは大谷さんにとって、どういう存在だったんですか。

「同じドジャースという球団ではありますが、高校を出たてのときとは内部の状況も編成の人も変わっていると思うので、今とは違うチームだと思います。ただ僕がこちらに来た2017年で言えば、当時の編成担当の方々は今とほぼ変わっていません。

 だから比較するならそのときかなと思うんですが、もし僕がドジャースの編成の仕事をしていたとしたら、僕がエンゼルスを選んだことについて、いろいろ考えるところがあったと思うんです。同じエリアの別のチームに行かれてしまって、それはフロントとしては複雑な気持ちがあったんじゃないかなと……それでも僕のことをその後もずっと評価し続けてくれて、いい選手はいい、欲しい選手は欲しい、と熱烈に勧誘してくれました。

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 感覚的なものなので言葉にするのは難しいんですが、あえて言葉にするなら、最後までオファーを出し続けてくれたその姿勢に『ウチは名門だから』というところはまったく感じませんでした。だから最後、決めるとなったとき、僕の心の中で何か感じるものがあったんでしょうね」

©文藝春秋

2017年にエンゼルス移籍を選んだワケ

――2017年と2023年のドジャースは何かが変わった、ということですか。

「2017年のときには25歳ルールがあったのでお金云々のところは度外視するしかないんですが、正直、そのときに投打の2つをこういうふうにやっていくという明確な態勢、ビジョンを持っている球団はありませんでした。

 僕のほうにも本当に2つできるという確信はなかったし、メジャーリーガーとしてのキャリアをスタートさせるとき、そのために必要な環境を選ぶとしたらどこなのかを考えたら、エンゼルスだというのがそのときの僕のフィーリングでした。僕の中ではドジャースが変わったというより、僕のほうのフィーリングが2017年はエンゼルスと合った、今回はドジャースと合った、という感じです」