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 母はきっと嬉しかったはずです。「あんたがずっと掃除してくれよった」と言われたことで「ああ、お父さんは、私が長年やってきたことを認めて感謝してくれているんだな」と思えますから。

 それに「掃除当番」という言葉には、小学校の「掃除当番」や「給食当番」のような、どこかかわいらしい響きがあるので、それまで泣き顔だった母はにっこりと笑顔になり、

「ほうね。ほんなら今日はお父さんが掃除当番ね」

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 と冗談っぽく言い返したのです。その瞬間、明るく冗談好きな本来の母が戻ってきたように感じました。

父は「最強の生活者」

 どうして父は、こんなふうに母の気持ちを軽くする言動ができたのでしょうか。

『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』より

 父本人に聞いても「そうなこと言うたかいのう」とはぐらかされるばかりなのですが、おそらく父は昔から本をよく読んでいる人なので、想像力を働かせる訓練、人の気持ちを想像する訓練ができていたのではないかと思うのです。

 それで思い出すのが、認知症の人の家族会に参加した時に主宰の方から聞いた話です。世の夫の多くは、妻が認知症になってもなかなか認められず、夫という自分の立場を捨てられないのだとか。

 多くの夫は、妻は病気だと頭でわかってはいても、「何でこんなまずい飯を作るようになったんだ。こんなもの食えねえ!」とか「何でこんなに洗濯物をためてしまうんだ。俺の着る服がないじゃないか!」などと声を荒らげてしまうのだそう。それだと、ただでさえ申し訳ないと思っている妻は、ますます肩身が狭くなり、居場所がなくなってしまいます。ああ、気の毒な奥さんたち……。

 そんな話を聞くにつれ、わが父は大正生まれなのに何てフレキシブルな感覚を持っていることか、と感動してしまいます。

「妻は尽くす側、夫は尽くされる側」という古い価値観にとらわれず、「できる方がやればええんじゃ」とフットワーク軽く動ける父。自分たち夫婦にふりかかったピンチに柔軟に対応する様子を見ていると、父には「最強の生活者」の称号をあげてもいいんじゃないか、とさえ思います。

 そしてそんな「最強の生活者」に守られている母は、やはり幸せ者だなあと、羨ましくもなるのです。