RUAN ただ、やりたいことがあるからやめるってのは言っていったので。ガルプラの宣伝が始まった時はすごいビックリしてたみたいですね。「これのために琉杏(RUAN)はやめたんだ」って。
――今でも同級生と会うことはあるのですか?
RUAN 夏の日本でのファンミーティングとか、タイのフェスティバルに部活の先輩が来てくれました。今でも応援してくれているのはすごく嬉しいですね。
デビューできず悔しさと後悔でいっぱい 自分の中では「黒歴史」
――ガルプラのオーディションでは、韓国人6人、日本人2人、中国人1人の計9人が選ばれ、Kep1er(ケプラー)として活動しています。YouTubeでデビュー曲が1億7000万回以上再生されるなど、世界的に活躍されていますが、デビューができなかった当時の心境は?
RUAN 悔しさと後悔でいっぱいでした。それこそ歌もダンスも経験がない、ただの沖縄の女子高生だったので、ステージで何もできなくて。周りの子はデビューした経験がある子だったり、練習生をしていたりと、プロに近い子たちばかりで。
その中で実力もスキルも自信もない私は、出場するだけで精一杯でした。何もできないままどんどん番組は進んでいって。それでもプラネットパス(脱落した人の中で各国1人ずつマスターたちが選んで脱落を取り消してもらえる制度)をいただいたり、SNSでも「表現が上手い」という声をいただいて、ありがたかったです。
でも、今、当時の映像は見れないですね。ダンスも歌もできなさすぎて恥ずかしくて。でも、やっぱり私のスタートはガルプラなので、いい思い出として残ってますけど、自分の中では黒歴史みたいな感じです(笑)。
日本に帰国後、怒涛の練習の日々
――オーディションで勝ち残るか、負けるかが、その後の将来を大きく変えますよね。
RUAN そうですね。韓国でデビューするって本当に一握りなんです。何年頑張っても行けない人も多くいる中で、オーディションは経歴に関係なく、誰にも平等にチャンスがあるんですよね。
それって本当に奇跡のようなことで。次の日から人生が大きく変わるんですよ。私も普通の女子高生だったのに、番組が始まってから本当にいろんな声が届きましたし、ネットでもいろんな情報が出たりして。影響力の大きさを知りました。
あと少しでデビューできるところまで行ったので、当時は本当に悔しかったですが、今はKep1erの活躍を楽しく見ていますね。ライブも行ったりしますし、メンバーと連絡を取り合うほど今だに仲がいいです。
――ガルプラで敗退してしまった後は日本に戻ったのでしょうか。
RUAN はい、所属していた事務所の練習生として土曜日以外、朝から夜まで練習を続けました。技術的な部分が全く足りていなかったので、専門の先生に教えてもらって。とにかくアイドルとしてデビューするために必要なスキルを磨きましたね。
写真=志水隆/文藝春秋
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。