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 そもそも僕たちの間では、「互いの仕事には口を出さない」が暗黙のルールになっていた。

 だから僕は、『ドラえもん』の収録現場の詳しい様子はあまり知らない。でも、カミさんを通じて『ドラえもん』の声優仲間たちの近況は、たびたび耳にしていた。

「しずかちゃん、この間、緑内障の手術をしたんですって」

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「スネ夫くんのお宅、お孫さんが生まれたそうよ」

 もちろん、「しずかちゃん」や「スネ夫くん」はアニメのキャラクターではなく、声優さんのことだ。

 当時すでに、『ドラえもん』のアニメ放送開始から四半世紀――。ドラえもんの声優陣は、もはや仲間を超えた“戦友”のような意識で結ばれていたんだと思う。

大山のぶ代の声を合成する案も

 ただ、時の流れを止めることは誰にもできない。

「次の『ドラえもん』の声は、どうするか?」という話題が、この頃から出始めていたのも事実だった。

 大山のぶ代の声を50音すべて録音して合成する。オーディションで他の声優さんを決める。聞いたところでは、この二つの案が持ち上がっていたという。

四半世紀、ドラえもんの声優を務めた大山のぶ代さん ©文藝春秋

 あるとき、カミさんがポツリと呟いたことがある。

「合成なんかじゃなくて、あの子(ドラえもん)の気持ちを理解してくれる人に託したいの」

 たとえ声は同じでも、ドラえもんの喜びや悲しみ、怒り、悔しさといった感情は、合成では表現しきれない。それを、カミさんは誰よりも知っていたのだろう。

 実は、入院中にもカミさんは、「もしかしたら、自分はもう元どおりの身体に戻れないかもしれないから、辞めたほうがいいのかも……」と、口にしたことがあった。

 それまで四半世紀もの間、カミさんが、自分の命と同様のドラえもんを辞めたいと言い出したことはもちろん一度もなかっただけに、僕は心の底から驚いた。

 でも、そのときは番組関係者のトップの方々が病室に来て、「大山さん、お願いですから辞めないでください!」と説得していたのを覚えている。