大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか? 

 

大山のぶ代さんがドラえもん声優を卒業する直前の思い出を、砂川さんの著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。

2004年のドラえもん声優交代の内幕とは? ©getty

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「ドラえもん卒業」の真相

「あたし、もうドラえもんを辞めたほうがいいのかな……」

 彼女の口から、そんな言葉がこぼれ落ちたのは、退院して間もない頃のこと。

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 直腸ガンの手術の後、嬉しいことに新たにガンの転移は見つからず、カミさんは無事退院へとこぎつけた。もちろん、すぐに『ドラえもん』の収録にも復帰している。

 実は、当初の予定よりも入院が長引いてしまい、治療の都合から『ドラえもん』の収録スケジュールに合わせられなくなったこともあった。そのため、入院中はカミさん以外のメンバーで先に収録してもらい、フィルムが溜まったら、病院を抜け出して一人、スタジオで録音する。この方法でなんとか切り抜けていたのだ。

 だからこそ、退院後もずっとドラえもんを演じ続けるのだとばかり、僕は思っていた。

「ペコ、突然どうしてなの? せっかくガンを取って元気になったのに、どうしてペコにとって一番大事なドラえもんを辞めたいだなんて言うんだい?」

「でもね、啓介さん。私がまた今回のように、急に入院したり、突然倒れたりしたら、迷惑がかかっちゃうでしょ。だったら、元気なうちに自分から辞めちゃったほうがいいんじゃないかなって思い始めて……」

 カミさんがそこまで深く考えていたことを知って、僕は何も言葉が出なかった。人一倍、責任感が強い彼女だからこそ、そして我が子同然のようにドラえもんを愛しているからこそ、真剣に悩んでいたんだと思う。

 自分のせいで国民的アニメである『ドラえもん』が中断することなど、あってはならないのだ、と……。