これが功を奏したのだろう。このときは事なきを得て、彼女はドラえもんをもう一度続けることに、最後は笑顔で応じていたのを記憶している。しかし、それでも「自分がガンになった」という事実は、カミさんの心のどこかに暗い影を落とし続けていたのかもしれない。
ドラえもん卒業後の大山のぶ代の人生
《『ドラえもん』の声優陣、交代――》
このニュースが新聞の社会面を飾ったのは、2004年11月22日のこと。
本当ならば11月30日に正式発表される予定だったのだが、事前にスッパ抜かれてしまったらしい。
ドラえもんだけでなく、のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫らの声優陣が一新されることもあって、報道は大反響を呼び、カミさんの身辺も一気に騒がしくなった。
交代のいきさつについて、彼女は詳しく話そうとはしなかったが、2004年に入った頃からだっただろうか? 報道のずっと前から、カミさんが「卒業」の決意を固めていたことだけは知っていた。
以前、退院後にドラえもんを辞めたいと言ってきたときとは、今回は明らかに様子が違っていた。
「ドラえもんを、今度は本当に辞めようと思ってるの」
そうカミさんが真剣に僕に打ち明けてきたとき、すでに彼女の中では覚悟が決まっているように感じられた。だから、あえて僕も止めなかった。
「そうだね、ペコ。もう君は十分やりきったんじゃないのかい。しばらく、ゆっくりすればいいよ」
これは後で知った話だが、この年の春、まずカミさんに交代の打診があったのだという。その後、声優陣が集められ、「5人全員交代」の話を持ちかけられたそうだ。
僕には何が交代の本当の理由なのかは分からないけれど、声優陣の高齢化による健康上の不安もそのひとつだったのではないだろうか。
もっとも、カミさんの週1回の『ドラえもん』の収録がなくなったことで、時間的に余裕が生まれ、この頃から夫婦で旅行する機会も増えた。
でも、ドラえもんを引退したといっても、カミさんはやっぱり仕事人間。講演の依頼も多く、毎日、家で趣味を楽しむような悠々自適の生活とはほど遠かった。