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これは「参与観察」の映画

――これまでの観察映画と異なり、想田さんと柏木さんが登場する場面も増えて、「私映画」になっている印象です。

想田 以前から僕は「観察することは『参与観察』すること」と言ってきました。自分が撮影をする時には、撮影する行為によってその状況が変わります。つまり、自分が参与している世界を観察しているので、自分もその一部だということです。今回は住民として被写体になったことで、撮る側と撮られる側が渾然一体となり、文字通り、「参与観察」の映画になった気がします。

――移住して3年半たちましたが、ご自身に変化はありましたか。

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想田 プライオリティがガラッと変わりました。本作は4年ぶりの新作ですが、それまではだいたい1年か2年に1本のペースで撮って、発表してきたんです。映画作りは自分の仕事ですから、一番のプライオリティ。それ以外の例えば家事とか友達に会うとか、そうしたことは余計なことだと思っていました。でも今は、料理をするとか、ご飯を食べるとか、散歩をするとか、日常生活の方が忙しく、大事になりました。

撮影 橋本篤/文藝春秋

勝ち負けに執着することが減り、怒りも減った

――牛窓という場所のせいでしょうか。

想田 場所の影響は大きいかもしれませんね。牛窓では、朝起きる時間が季節によって変わるんですよ。明るくなったら起きるみたいな。洗濯も、ニューヨークでは夜中の2時、3時でもコインランドリーを回していたけれど、こちらではお天道様次第。自然のサイクルに合わせて生きる感覚です。

『五香宮の猫』より © 2024 Laboratory X, Inc

 もう一つ、瞑想を8年前から始めたのも大きいと思います。それまでは、映画を1本作ると、たくさんの人に見てほしい、評価されたいという気持ちが強かった。そして成功すると、次も成功を求めました。でも、常に勝ち続けるなんて無理なことですよね。それなのに、常に勝ち続けようという価値観を体現しているニューヨークという街に住んでいた。苦しかったんですよ。でも、瞑想して自分を観察すると、勝っても負けてもすべては無常であり特段の意味はないし、勝ち負けに執着すること自体が自分を苦しめているのだということに気づいて、だいぶ楽になりました。僕、すごく怒りっぽかったんですが、それも減りました。

――本作にはそんな想田さんの変化も表れていますか。

想田 表れていると思います。今までは何だかんだ言って、撮影中に事件や刺激を求める気持ちもありましたが、今回はそういう助平心はあまりなかったです。

――次回作はもう取りかかっていますか。

想田 全く取りかかっていません。もしかしたら、映画を作ることへの関心の比重が、僕の中で変わってきているかもしれないです。今、惹かれているのは仏教的な生き方です。瞑想仲間を増やそうと、瞑想の会も始めました。一緒に瞑想するだけなんですけど。