『選挙』『精神』など、事前のリサーチを行わず、台本やナレーションも用いない独自の手法で「観察映画」を作り続けている想田和弘監督。その第10弾『五香宮の猫』が10月19日に公開される。27年暮らした米国ニューヨークを離れ、日本に居を移した想田監督に自身の最近の変化を聞いた。

想田和弘監督 撮影 橋本篤/文藝春秋

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ニューヨークから岡山への移住

――1993年から27年間暮らした米国ニューヨークを離れ、2021年1月、岡山県瀬戸内市牛窓町に移住しました。いつ頃から帰国について考えていましたか。

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想田 いつかはニューヨークを去るだろうとはずっと思っていましたが、具体的には考えていませんでした。きっかけになったのは新型コロナウイルス禍です。前作『精神0』のキャンペーンで20年に東京に来たタイミングでコロナ禍が始まり、緊急事態宣言が出て、ホテルに缶詰になってしまったんですよ。ニューヨークにも帰れなくて、ちょっとここから逃れたいということで、牛窓に行きました。牛窓はもともと妻(本作プロデューサーの柏木規与子さん)の祖父母や母が暮らしていた縁で『牡蠣工場』(15年)や『港町』(18年)などを撮影したりして、なじみがありますからね。そこで海に面した家を借りて昼寝をしていた時、「ああ、ここにいたいなあ」と心の底から思い、具体的に移住を考えるようになりました。

 もっと自然と共に生きたいと思ったことも理由の一つでした。コロナ禍が始まった時、この世の終わりのように東京で感じましたが、牛窓に行ったら、「なんだ、困っているのは人間だけだ」と思ったのです。猫も魚もマスクしませんし、海も山もコロナ禍で閉まったりしませんからね。人間は地球の住人の一種でしかないのに、人間中心に考えていたんだなと思い、ガラリと環境を変えてみたくなりました。

妻の野良猫保護活動をきっかけに撮り始めた『五香宮の猫』

――『五香宮の猫』の撮影は移住してすぐに始めたそうですね。

想田 野良猫を保護した関係で、妻が五香宮の猫たちを避妊去勢手術する活動に参加したんです。それで自然にその様子を撮り始めました。当初は映画にしようとは思っていませんでしたが、五香宮に張り付いているうちに、いろんな面白い人が出入りしていることに気づき、割と早い段階で第10弾の作品になるなと思いました。

『五香宮の猫』より © 2024 Laboratory X, Inc

――これまでの作品と違っている点は。

想田 これまで僕はニューヨークからの「来訪者」の立場で、3週間なら3週間と限られた期間で撮っていました。それが今回は約2年と圧倒的に期間が長くなりました。でも、その分、撮り逃すことが多かったです。例えば、猫がケンカをしているからやめさせなければと急いで手ぶらで出て行って、ケンカが終わってから、「あ、撮影すべきだった」と思ったり。住人の立場になると24時間、映画作家でいることができなかったんですね。

 加えて、これまでだったら来訪者として気軽に撮っていたものが、住人の立場としては憚られて、なかなか撮れなかったという経験もしました。ドキュメンタリーのカメラというものは時に暴力装置にもなるという怖さは、今までも自覚していましたが、さらに抑制が強くなったと思います。