見上げるようなタワマン群が屹立する東京の湾岸、豊洲と晴海。子育て世代にも人気が高い豊洲・晴海エリアだが、かつてその付近には火力発電所や東京ガスの工場が立ち並び、両エリアは東京のエネルギー基地という「別の顔」を持っていた。
そして、その建物の合間を縫うようにかつてはレールが敷かれ、産業鉄道として高度経済成長期の東京の輸送を支えていた。現在は、目新しいショッピングモールやタワマンなどが立ち並ぶ両エリアで、埋もれた鉄路の跡と“倉庫街の豊洲・晴海”の面影を探しにいく。(全2回の1回目/続きを読む)
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日本で初めてのコンビニエンスストアができた東京・豊洲
2024年は、日本におけるコンビニ誕生から50年の節目だという。1974年、日本で初めてのコンビニエンスストアは、東京・豊洲にできたセブン-イレブン。それを足がかりに、セブン-イレブンはわずか2年で100店舗にまで拡大。あっという間に日本はコンビニ大国になった。いまも、セブン-イレブン1号店は豊洲の町中で営業を続けている。
そのセブン-イレブン1号店を取り囲む豊洲の町は、とてつもない町だ。
地下鉄有楽町線の豊洲駅で降りて地上に出ると、圧迫感があるほどの高層ビル群に見下ろされる。豊洲の交差点から南西に歩いてゆけばららぽーと。
人口減少時代に3つの小学校が
豊洲公園を横目にゆりかもめの高架下を南西に進んでいけば、豊洲市場もそう遠くない。ゆりかもめは、豊洲市場の間を抜けて有明、そしてお台場へと、東京湾岸の埋立地をぐるりと走ってゆく。
豊洲の高層ビル群は、マンションであったりオフィスであったり、その性質はさまざまだ。「豊洲」と名乗る地域には、区立の小学校が3つもあるという。そのうち2つまでが2000年以降に開校した。最も新しい豊洲西小学校の開校は2015年だ。人口減少時代もなんのその。
ベッドタウンにしてオフィス街、そして繁華街としての側面も持つ豊洲は、いまも成長を続けている。行き交う人々も、なんとなく品が良さそうに見えてくるから不思議なものだ。
そんな豊洲は、運河を挟んでほかの埋立地とも結ばれている。南側には東雲や有明、その先にはお台場。西には晴海があって、その北側には月島・勝どきがある。何本もの橋がそれぞれを結び、一体となって東京湾岸エリアを形成する。歩いて橋を渡っている人は少ないが、どこもクルマ通りは絶えない。このあたりからも、令和の東京を象徴するエリアなのだろうと思わせる。